Foufou

血煙高田の馬場のFoufouのレビュー・感想・評価

血煙高田の馬場(1937年製作の映画)
4.5
早稲田の学生の乱痴気騒ぎのことではございません。もっとも、昨今の学生に、血煙なんざ、似合うわけもなく。

時は元禄。火事と喧嘩は江戸の華、なんてことばもある通り、喧嘩と聞けば取るものも取りあえず駆けつける浪人の中山安兵衛は始終飲んだくれの酔っ払い。これをかの阪東妻三郎(阪妻)が演じていて、東洲斎写楽の役者絵からそのまま飛び出してきたようないでたち。

男の色香なんぞといってうっすら無精髭の八頭身のジーンズ姿を思い浮かべられても困るんですけど、まぁ、百聞は一見にしかず。阪妻なんて、最初はセリフもない端役ばかりだったのに、切られても目立つんで、アイツになんか役をくれてやれ、となるような人でしたからね。生まれ持ったオーラがもう違うのです。身長は170センチちょっとで顔も大きい。スチールを見ただけでは、どこがいい男か、現代の基準に照らしていたのでは到底わからない。それがどうです、映画の中で動き出したら紛うかたなき大輪の花。『鴛鴦歌合戦』の片岡千恵蔵もいい男でしたが、荒物は遠慮したい感じのたおやめが勝って、高貴と冷淡が同居している(あの映画の撮影では途中病気したという事情はあるにせよ)。しかし阪妻には、ともすると無頼に染まりそうな危うさがあり、庶民に溶け込む人情があり、それでいて抜刀した瞬間に鬼神を宿すますらおが爆発する。これを男の色香といわずしてなんといおう。

ちなみに阪妻の子のほとんどが役者を継いで、三男は今年の四月に鬼籍に入られた古畑任三郎こと田村正和ですね。

さてもさても血煙です。高田馬場です。51分の中に、映画の娯楽性が凝縮されています。阪妻が、走る、走る、走る。これを追う長屋の面々。やがてわっしょい、わっしょいの大合唱。向かう高田馬場では安兵衛のオジと小使いのたった二人が、三十人からの槍やら刀やらの軍勢を相手にしている。阪妻の走るショット。これを追う長屋の応援団。多勢に無勢の攻防とこれを見物する野次馬どもの大歓声…。繰り返す。また繰り返す。そして、日本映画史に残る高田馬場大立ち回りの機は熟する。

歌舞伎の型なんでしょうね。これが映画的に見せるアクションの基本として見事に生きている。日本的とか日本らしさとか、そんな卑屈さとは無縁の、あくまでエンターテイメントの必要性から、日本の伝統芸能と生まれて間もない若い芸術=映画が結びついている。

これこそ、感動的なことではないか。
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