otomisan

昆虫大戦争のotomisanのレビュー・感想・評価

昆虫大戦争(1968年製作の映画)
3.1
 いいネタを仕込んだと思うが映画の出来はさっぱりだ。
 見ようによっては映画狂いの高校生にまとまった金を渡して彼らの力ずくを信じて撮らせてみたよな感じで、大ネタ、小ネタの整理が付かずに自滅したという具合。でなければ、低予算で押し付けられた枠だが勝手にやっていいよ、というので好き勝手にしたら、やはりあれもこれもの収拾がつかずに自滅、という感じだ。ただ、特殊効果を米国で学んだ監督が、それに見合う芝居を学ばなかったのか?どうも監督の自滅だけなのか、とんがった話題の数々を咎められて、なんて、ありはしなかったか?
 では何がどう整理されてないのか?

 まず、大ネタとしてはキャシー女史の「ジェノサイド」である。ナチスのユダヤ人絶滅を慰み者に身をやつして切り抜けた女史は骨の髄まで人間不信。猛毒虫開発の先に見る夢はひたすら「ジェノサイド」だが、その資金提供は「東側の国」で、あちらは生物化学兵器としての虫を開発してくれればいいのだが、エージェントのチンピラ親父三匹ではまるで手綱がとれない。冷戦も工作活動も当時らしい話題だがこの場合、小ネタにしかならない。
 というのも「Dr.モローの島」並にキャシー女帝の毒バチ要塞、たとえば毒バチがジュラルミンを切り刻んで巣材にしてしまう位の元気一杯さで営めるようなら大ネタブレークといくところだろうが、あいにく現下の作戦地点「八ツ島」は米国から返還ほやほやの場所、当時としては小笠原群島が思い浮かんでいたのだろう。全域が軍隷下で自然は手付かず、毒バチ研究にはもってこいの環境というわけだが、世界殲滅の大事業化もできるわけがない。と、監督は冷静に判断し、冷戦構造と併せて「ジェノサイド」計画の大ネタ化を断念した模様か?つまらない奴だ。
 しかし、熱血南雲博士はこのハチ毒の効果からなんとハチの意識を「世界を原水爆で破滅させかねない人間を先制ジェノサイドしてしまおう」と解読してしまう。これも十分すぎる大ネタである。
 半世紀のち、人間世界は「自然」を法人とみなす動きすら起きていて、環境保護NPOが代理人となって環境政策に不熱心な政府を裁判で負かすまでに至っている。'68年といえば日本でもやっと「生と死の妙薬」改め「沈黙の春」が再発売されたところである。つまりうまく時宜を捉え、時代を半世紀も先どってさえいたのである。
 ハチに意見を言わせるならそれもよし。彼らは社会をつくるし、フェロモンだってダンス言語だってあるんだから反人間闘争で革命したっていいじゃないか。だが、仮にキャシー女史を代理人とするにしても、その表明は理詰めの手順が要り用だろう、芝居にして何分要る?それで経費プラス百万なのよ、とか?東側諸国の資金もあてにはできまいし監督の恨み節が聞こえるようではないか?

 もうひとつの大ネタは非核三原則である。ただし、当時、一般的関心がどれほどあったろう?小笠原に核があったか?横田か厚木だかにあったかも知らないが、どこからかの移送中に八ツ島にそれを落っことして、その始末のため爆破して島ごと、ついでに毒虫も消してしまうという扱いは馬鹿を通り越して気が違ったのか?
 さらにそこに余計な小ネタの世界戦争?が水上機搭乗員の闖入で割って入られる。なにを寝ぼけてるのか。こういったところが高校生レベルだと云うのだ。
 この映画のどこか異様な感じがするのは、こうした幼稚な締めくくりの代物もカネになるとでも思うらしい?ところに発するのである。これでは非核三原則どころか、いかに今よりもはるかに同盟未満だった日本国とはいえ米国が他国領で水爆を爆発させるとは、誰に向けた嫌味のつもりだろうか。この件をもって今後は「核を使わせない」を加えた「非核四原則」としなければならない。監督は当然それと承知だろう。

 このように、大ネタを二つも抱え、冷戦、世界戦争、ナチスとユダヤ人、領土返還、日米同盟など大きな小ネタを幾つもちりばめた結果、だらけ芝居はそれらを機敏に調子よく扱い損なってしまったわけである。
 恨みといえばさらに、島の人たち、南雲、虫取り川津も死んで、残された許嫁恵美もやはり原爆病で死ぬのだろう。この日本にとっての第三の原爆の雑な扱いについては、語られる事のない、それを起点とした話の続きを継ぎ足すのに、それまでの南雲らに課したダラダラ芝居をてきぱき片付けていれば時間なんぞいくらでも捻出できたはずである。反米の機運旺盛な'68年の第三の原爆をふざけるなバカヤローで迎えない日本人がいないわけがない。それと承知で腑抜けたような絵を撮って見せて、反米に対する「デタント」を演出しましたとでも云うのだろうか?
 話を戻すと、あの爆発で八ツ島の虫たちを退治できたとしても、もう一方の、後送された水爆機搭乗員2遺体に産み付けられた毒バチの卵の帰趨が原水爆を越えた手放し状態の問題、すなわち、自然界の代弁者、人工毒バチによる全世界ジェノサイド宣言という大ネタで結局、人類震撼となるわけである。もしくは、南雲血清があらためて毒バチへの対抗手段として注目されるところで終えてもよかったろう。しかし、松竹はそれをよしとせずチンケな煙を立たせて日本の(ついでに反米噛ましやがった二本松嘉瑞も)お先は真っ暗とうそぶいて見せるのが好みだったらしい。

 2022年は監督、生まれて100年目だというのにどうも遺作がこれでは浮かばれまい。