地上に出てから八日目以降を生きた蝉は、他の蝉が七日で死んでしまう中で生き延びて不幸せなのか。あるいは他の蝉が見ることのできない綺麗な景色を見れて幸せなのか。
小豆島の虫送りを観たことがきっかけで野々宮希和子と薫の家族像が終わりを迎えるという意味では『八日目の蝉』は綺麗な景色を観れても結局は死んでしまうとも捉えることができるかもしれない。
その一方で、ラストシーンでそれまでの過去に囚われていた状態から一気に未来志向に転換するシーンからは、『八日目の蝉』としての秋山恵理菜が前向きな形で描かれているとも読み取れる。
死んでしまった家族像と、今もまだ生き続けている薫。
生き続ける『八日目の蝉』にはきっと希望があって、そこに生きることを選ぶ意味がある。
そんなことを思いました。
自分用メモ
・写真とは情景を保存する装置であり、時空を超えて思い出という「綺麗な景色」を薫が目の当たりにすることで未来志向へ転換する点が肝(?)
・美しいシーンが多い本作を映像美として楽しむことも良いが、上記の解釈を考慮すれば、美しい景色をスクリーンを通じて観る体験こそが鑑賞者に生き続ける勇気を与えてくれる(?)
・取材旅行と逃亡劇をシンクロさせるカメラワークが上手すぎる
追記
本作の構想となった「日野OL不倫放火殺人事件」では、メディアによる加害者に同情、共感するような報道が行われ、裁判では多くの若い女性が傍聴した。
映画を観たときに感じた、見方によっては加害者に感情移入させるような構成はこういった部分から由来している(?)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8EOL%E4%B8%8D%E5%80%AB%E6%94%BE%E7%81%AB%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
https://youtu.be/csepaljIwEc