晴れない空の降らない雨

キートンの探偵学入門/忍術キートンの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

4.6
 チャップリン、ロイドとともに「喜劇王」と並び称せられるバスター・キートンの代表作。
 次から次へと繰り出される、体を張ったギャグの数々は圧巻である。というか、ジャッキー・チェンって影響受けまくっているなぁ……これ見て初めて知った。幼少期から舞台で仕込まれていたキートンは、本作でもスタントを雇うことなく、すさまじい芸当を次から次へと繰り出している(地味なところでビリヤードのくだりヤバい)。スラップスティックの俳優たちの特異な格好に身を包み、不器用そうなキャラクター像を築き上げたのは、自分たちの身体面の卓越性を覆い隠すという意味があっただろう。
 本当にいま見ても笑えるシーンばかりだし、特に終盤の暴走ネタは撮影も含めてすごい。スラップスティックは確かに俳優の身体に大部分を依拠しているという点で、映画以前の芝居文化の名残である。しかし、本作を観ていても、キートンは芝居を拡張するために映画というメディアを使いこなしていたと思う。キートンのアイディアは本人の芝居だけでなく、大小の道具から撮影にも及んでいるし、後述のとおりトリックにも積極的だった。社会性やドラマ性をとりこんだチャップリンとは違って、ドタバタを映画として正統に発展させたのがキートンといえるだろう。
 
■即興性
 喜劇はもちろん古代ギリシャから存在しつづけており、誕生したての映画においても国を問わぬ人気ジャンルだった。しかし、スラップスティックという形で、映画作品として完成をみたのはやはりアメリカである。実際、西部劇とならんで「アメリカらしさ」を感じさせるジャンルだ。思うに、「即興性」という点でアメリカは有利だったのではないか。つまり、欧州人が否応なく参照してしまう歴史・伝統を考慮することなく、アメリカ人はただその場その場の笑いをひねり出せばよかったのではないか。誇張された俳優の運動を面白おかしく見せるのに、ややこしい文脈はむしろ邪魔である。
 ただ、単なる動きのおかしさのみに頼った舞台的なドタバタは1910年代のうちにマンネリ化する。1920年代からは、徐々にそれなりのストーリーをもった中編や長編が撮られるようになり、それがサイレント喜劇の全盛期を形成する。
 
■無声
 このジャンルがトーキーによって衰退していったのはよく知られている。ひとつには、パントマイムそれ自体の面白さはとても繊細なものだった、ということだろう。おそらくこれはリズム(時間性)が関わっていると思われる。
 加えて、喜劇スターは自らをキャラクター化し、大体どの作品でもそのキャラクターを演じてきたわけだが、それが受け入れられるには「無声」がカギだった。トーキーは、映画が現実に近づく決定的な一歩となり、虚構性の強いキャラクターはそこに存在することができなかったのだ。チャップリンが1930年代を通して無声を貫いたのは有名だ。
 
■フレームレートの低さ
 もうひとつ、ドタバタ喜劇がこの時代ならではと思わせるのは、動きのカクカク感である。これは当時の映画のfpsが16しかなかったためであり、やはりサイレントと同じように技術的限界によるものだ。
 当時のフレームレートの低さは、こうしたスラップスティックの俳優たちの運動から人間的な重さを奪う。これは、俳優の動きを軽妙・コミカルにみせるのにほとんど不可欠な条件のように見える。それによって喜劇俳優の並外れた身体能力は目立たないものとなり、その虚構のキャラクター性の面白さが際立つこととなる。こうした通常ならば「欠点」と見なされる特徴が、サイレント時代のスラップスティックを生かしていた。正真正銘の非現実な存在である、カートゥーン・キャラクターにも同じ原理が働いている、と言ってよいだろう。

■イリュージョン
 虚構的なキャラクターとなることで、技術を用いた超現実ないし非現実的な演出にも喜劇俳優はなじみやすくなる。とくにキートンは、『文化生活一週間』もそうだったが、映画ならではのトリック撮影もよく取り入れていた。
 この作品には、中盤に眠ったキートンが幽体離脱?して劇中映画のなかに迷い込むシーンがある。やっていることは単純な二重露出だが、これ相当の精度が求められただろう……。こうした空想的・非現実的なシチュエーションからの笑いもまた、カートゥーン・アニメーションを思い起こさせる。思えば、この2つは勃興と隆盛の時期が重なっているのも興味深い。ただし、カートゥーンはいちおうトーキーを生き延びたが。