とにかく色々と不快な現象がオカルティズムと抱き合わせになって事態として転がっていくのだけれど、その中で実直なリアリティを軽々と飛び越えていく軽快さ(適当さ)によって、くだらない笑いがより一層笑いとしての純度を高めていると思いましたし、何よりそれらが連環して織り成す非現実としての映画的な様相が僕は好きです。
自分も世界もどうしようもなくすべてが狂った状態を収束させるその方法がとても清々しいし、進行し切った事態における非現実性としての極限が、朝日を浴びて終焉を迎えるその光景には正直胸に迫るものがありました。映画という非日常が幕を閉じる事によって生み出される、爽快感や寂しさという感覚が一緒くたに込み上げてきた気がしたという感じ。
後半で繰り広げられるカンフーはなんとホン・ヤンヤンが武術指導を務めていて、流石にしっかりした殺陣が満を持して披露されるワケなのですけれども、このように力を入れるポイントが明快であるがゆえに逆に映画としてはよく分からない感じがなおさら味わい深いなあと。
金子みすゞ風にまとめるならば、エロと、グロと、それからカンフー、みんな狂って、みんないい。