Kuuta

ブラックブックのKuutaのレビュー・感想・評価

ブラックブック(2006年製作の映画)
4.4
ハリウッドで苦労と経験を重ねたバーホーベンが、久々に本国で羽を伸ばして撮った傑作。その意味では「パラサイト」と似た経緯の映画だなと思う。

狂った世界で一面的な快楽(エロや暴力)に意識を奪われず、理性を保って闘い続ける、その主人公は常に女性だ。バーホーベンの一貫した作家性と、エンタメ性が高いレベルで両立している。

オランダのレジスタンスと、ナチスの間を行ったり来たりした、ユダヤ人女性のラヘル(エリスと名乗る)。善悪の境界は曖昧で、全てのシーンがグレーな印象を与える作品だ。ナチスにも良い人はいるし、レジスタンスに悪い人もいる。水辺という、まさに二つの世界の間に立つ彼女が、騙し騙されの戦時中を回想する形で映画は始まる。

ナチスとレジスタンスのアジトを行き来する時、彼女は自転車に乗り、二つの車輪が映される。最後に自ら車を運転するようになるエリスと、観光バスに乗る主体性のない観客が対比される。

ずーっと、水と炎が出ている映画だ。川と船、水責め、トイレ、酒、炎、ライター、爆弾、銃…。これらの対比は、一見レジスタンスとナチスの反発し合う関係の象徴に見える。

だが、それ以上に重要なのは戦後のシーンだ。終戦を喜ぶ人々によって、画面にいっぱいにオランダの国旗=赤と青が現れる。

二つの戦争の色は消えていないどころか、むしろ人々はそれを積極的に掲げ、称えているのである。その掌返しの醜悪さの頂点に糞尿が置かれ、「売国奴、売女」を叩く市民と、上から目線で「弱者を啓蒙」するキリスト教が、これでもかという怒りを持って描かれる。これこそがバーホーベンの真骨頂だ。

(冒頭、キリスト教を強要されるエリスが十字に描いた料理のソースをぐちゃぐちゃにする。家族が殺されるシーンで、船には大きな十字が立っている)。

レジスタンスはほぼほぼ素人集団であり、それぞれが自分の考えに固執する、愚かな集団として描かれている。一方のナチスも一面的な悪ではない。一番むかつくフランケン中尉は歌が上手いしピアノが上手。変わり身の早い将校は「公平な裁き」を盾に、法に基づいた刑の執行を進める。

戦後、エリスが誤解を解くため、カイパースに会いにいくところで、車内に一瞬風が吹き、彼女の髪が揺れる演出が素晴らしい。分離した二つの世界を突き破るため、二階から階下の民衆の海に「落下」する場面も痺れるし、最後に湖へ向かって石を「投げる」動作によって回想を終える(冒頭の湖への爆弾投下との対比)等々、良い映画のお手本のような演出が重ねられている。

オランダ製作ながら、スピルバーグ映画と比べても全く遜色ないクオリティだと思う。レジスタンスの作戦会議シーンの恐ろしいまでのテンポの良さ。流れるようなアクションのカメラワーク。窓やカーテンを閉じること、開けることへの意識…。

陰毛を脱色する印象的なシーン。本来人に見せない内面すら染めて、痛みに耐えながらナチスに近づく彼女の葛藤が、映像の力だけで示されている。素晴らしいアイデアだと思うが、これを「露悪的で下品」としか感じない人もいるのが残念だ。

(さらに言うとこの場面、鏡を見て変装するエリスと対をなす形で、ハンスは医者の道具の支度をしている)

歌うことを強制させられるエリスは、戦後「やっと静かになった」と呟く。だが、ラストで訪れる音が、苦しみが終わらないことを悲劇的に示唆する。

一方で(かなり嫌な見方になるが)、この映画は彼女目線に基づき、ユダヤ人に都合よく構成され直した「現在に続く受難」の話に終始した、と取る事もできる。どちらにせよ、バーホーベンの強烈な皮肉である事に間違いないだろう。88点。
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