まず、お断りさせていただきます。
三池監督の撮りたい映像と自分の“映画で観たいモノ”は合わないです。
すみません…。
今作、リアルタイムで観られたんですが、元々、ホラーが苦手なのでスルーしてました。
それでも、薄汚い畳の部屋のズダ袋の予告が、妙に印象に残っていて、Amazonプライムで偶然見つけ、その私の記憶のズダ袋を空けてみたくなり鑑賞。
う〜ん、正直なところ今の感覚から観ると映像も演出も微妙かなぁ…。
でもそれなりの評価を得ているので、当時としては充分だったのかもしれない。
印象としては、すごく撮りたいシーンとそうでもないシーンの落差が目立つよう。
こちら(観客)側の、ホラー系の映像や恐怖に対する感覚の慣れによる、経年劣化、色褪せ感みたいなのも大きいのかもしれない。
例えば、オーディションシーンで、テーブルの上の三角の名札?「プロデューサー〜」みたいなのって、最早コントだし。
オーディションのそれぞれ志願者の映像は、当時としてはそれなりに面白かったのかもしれないけれど、半分くらいは作り過ぎなキャラを演じてるような滑稽さを感じてしまった。
今だったら、ガチのオーディション映像でもアリなんだろうなぁ…。
所謂、怖いシーンになると途端に映像の濃度が増すのが分かり、すごく撮りたいのが伝わってくる。
でも、逆にこのストーリーでは、序盤に挟み込む非日常的な映像は、むしろもっと抑えてホラーっぽくしない方が、例えば今の感覚で言えば真っ赤なライトとかより、自然な薄暗さとかの方がずっと怖く感じると思う。
麻美(椎名英姫)にしても、青山(石橋凌)と会っている以外のシーンは、ほぼ不気味や幻想的な映像ばかりなんだけど、むしろ現実的に細部を描写し麻美にとっては、アチラ側も日常の中に当たり前に存在する世界で、愛も嗜好もフラットにした方が、より怖く感じるとは思う。
バレエ教室のあたりも、ちょっと見せ過ぎだろうか。
パズルで言えば、ピースが大きすぎて簡単にハマってしまう感じ。
もっと微かな断片程度の、ピース不足の完成しないパズルのような、意味がありそうで分からないくらいの方が、気味悪さがより増したように感じてしまう…なんだかすごく勿体無い。
それでも、当時としては、全体的にそこそこ抑え気味だったのかもしれない。
クライマックスは、今でも“痛い!”ので、当時はもっともっと痛かった!でしょうね!
エンドロールで大杉漣さんの名前があり、どこだ?と思ったら…アイツだったのね(笑)