茶一郎

姿三四郎の茶一郎のレビュー・感想・評価

姿三四郎(1943年製作の映画)
4.1
 Jホラーの帝王(今、「世界のクロサワ」と言ったらこの監督になる)『CURE』、『岸辺の旅』などの黒沢清監督は、映画撮影時に「映画の神が見ているな」と思う時は「風が吹いて欲しいと思った時に風が吹いた時だ」と言っていましたが、まさにこの『姿三四郎』のラストは映画の神が見ているというか、それ以上、「世界のクロサワ」の映画監督としての誕生を映画の神が凝視している奇跡の瞬間が刻み込まれています。

 黒澤明監督の処女作『姿三四郎』は、明治時代、柔術派が猛威を振るう中、柔道に身を置き柔道精神に目覚める青年・姿三四郎の成長と恋愛、青春を描いた一本。
 「処女作には映画監督の全てが現れる」とよく言われますが、今作『姿三四郎』も黒澤監督の素質がよく表れている。まずは監督のエンターティナーとしての素質、全編7つの決闘を小気味好く繋ぐ語り口、そして後の黒澤作品に通底するテーマとモチーフ、主に「静と動との対比」、「『道』に人生を委ねる精神性」、「『道』を極めた師匠と弟子」が見られます。
 公開当時は「美しいアクション映画」として高く評価された今作、何よりも美しい画面が多いというのも画家から映画監督に転換したビジュアル・ストーリーテラーとしての黒澤監督のデビューを確認することができます。上述の「神風」はもちろん、三四郎が脱ぎ捨てた下駄で時間経過を示す語り口はとても美しいものでありました。

 尤も、アクション映画と括られながら、今作が描いているのは肉体の闘いではなく、精神の闘いというのも黒澤作品らしさと言えます。なぜ三四郎が「柔術」ではなく「柔道」を極めようとしたのかという理由は黒澤監督の肉体としての強さではなく精神の成長を描こうとする意志に通じており、「柔術」即ち格闘の技ではなく「柔道」は精神、人生の「道」、それは『七人の侍』における「武士『道』」や、『赤ひげ』における「医学『道』」と重なります。
 柔道をする際に人と人とが組み合い、お互いを見つめ合う姿、その姿はアクションや、力と力のぶつかり合いを超えた心と心の共鳴を感じさせる。この『姿三四郎』は、日本の誇りでもある柔道の精神性を描いた戦中の戦意高揚目的の作品以上の現代にも通ずる美しい作品であり、当時32歳、黒澤明監督の輝かしい船出を祝福する一本でありました。
茶一郎

茶一郎