“レクター博士、ワンモアプリーズ😎🤲”
この気分でこの映画を手に取ると、思ってたのと違ったなという感想になりました。
『羊たちの沈黙』と構成はよく似ているのにあの全編を通して伝わってくる緊張感とかは、この映画にはなかったです。薄氷を踏むようなあの感じを追体験したかったのに。もっとレクター博士が欲しかった🥲
ビックリマンチョコを買って、シールがハズレで、「チョコは美味しかったさ。でも、キラキラシールが欲しかったのに〜😭」という感じ。シールが欲しくて買ってるんだから、チョコの品質向上よりキラキラシールを封入して欲しい。
クラリスじゃなくてグレアム。その成熟度?個性?の違いが、映画の雰囲気の違いと繋がっていたんじゃないかな。
クラリスはまだ若く、脆いガラスみたいな部分のある女性だった。レクター博士の強烈な引力に吸い寄せられ、影響を受け、事件を追いながら内面の変化を遂げていく。『羊たちの沈黙』は、すごい緊張感で、本当にハラハラした。
でもグレアムは違う。
グレアムは、クラリスより場数を踏んでて良くも悪くもレクター博士をより現実の脅威として認識できている印象。その危険性を痛感しているし、一線を引くことを怠らない。「自分はレクター博士とは違う」という風に、なんとか全てを律しようとしている人物に思えました。『レッドドラゴン』は、グレアム個人の有り様よりも、事件そのものをどっしりと見せていた。
『レッドドラゴン』のメインストーリーについては、犯人がフランシス(キリスト教の聖人の名前)という名前であったり、赤い竜や火事、過去からの解放を望む犯人の真理とか、新約聖書が存在感を持つ物語だったので、自分にその教養があれば、映画はもっと違う味わいがあったかもしれないなと思いました。
うーん。
監督も違うし、レクター博士の存在感が薄くても、それがこの映画の評価を左右する全てではない、たぶん。基本的には原作との乖離が小さいのは好ましいことだと思うし。エドワード•ノートンもレイフ•ファインズも良かった。
でも、原作でもともとレクター博士が端役だったとしても、そこは思い切って脚色して欲しかったなぁ😗😗😗 少なからずレクター博士目当ての集客を狙ってるんだから。
冒頭のシーンが強烈でワクワクさせてくれたのに、そのあと肩透かしだったから、本編にボーナスエピソードを付け足したみたいだった。
そもそも、グレアムが平和な生活に戻るというラスト。あれじゃぁ、『羊たちの沈黙』のあと、脱獄したレクター博士が会いに行って一悶着ないとおかしくない? どんなに衝撃的でも、ラストは原作通りにして欲しかった。。それでこそ、恐るべしレクター博士の掌握力😨という感じで、レクター博士シリーズらしくなった気がする。
これではレクターファンにサービスが足りないぞ、と、言いたくなりました😌
以上、ここまで、ファン心理でお送りいたしました🙇