KnightsofOdessa

汚れた顔の天使のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

汚れた顔の天使(1938年製作の映画)
2.5
No.115[キャグニーの対価がデカすぎるほぼ一方的な友情] 50点

実はハンガリー人なのでケルテース・ミハーイと表記するのが母国語寄りの発音になる。ただ、彼は1919年のハンガリー革命失敗によって亡命してアメリカに帰化したため、ナチス云々は関係ないのが本当のところ。ハリウッド期序盤は大嫌いだったエロール・フリンとの連作が多く8作品も監督していたが、その後はスタジオ・システムの中でヒットを飛ばし続けて職人監督の名をほしいままにした。本作品はカーティスのフリン時代終盤に製作され、実生活でも親友同士だったキャグニーとオブライエンを主演に据えた友情物語である。

着実に悪の道を極めていくモンタージュによって滅茶苦茶似てる子役がそのままキャグニーになるとこは中々よろしい。が、その後はヘイズコードに忖度しまくった結果、キャグニーの対価が重すぎる涙ぐましい一方的な友情ものになってしまっている。私は清くありたいし全ての子供達を清く導きたいから君らのやってることバラすわ、子供達のために泣きながら死んでくれ、子供達のために金は渡すな、などなど。そもそも泣き叫びながら死んだら"なんだアイツ、俺が超えてやるよ"とか思うのが普通だと思うんだけど、憧れの人が臆病者だとすぐに祈りに行っちゃうくらいなものなの?弱すぎね?そんな奴は直ちに不良やめるべきでしょ。オブライエンはほとんど葛藤もせずに古い友人であることを武器に友情の搾取をしまくっている上に、自分が正しいと信じて疑わない感じが滲み出てて全く好きになれない。

キャグニーは友人に友情を搾取される可哀想なおっさんよりグレープフルーツを愛人の顔に押し付けたり、爆死するマザゴンギャングだったり、キレ者興行主だったりするほうが絶対合ってるって。
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