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ハリー・ポッターと賢者の石のkatsuのレビュー・感想・評価

4.7
《賢者の石:完全保存版》
コレを読めば、今作の魅力を完璧に網羅できる!

さて、本当はこの作品への想いを文章にせず私の心の奥底に扉を閉めて独り占めしたかったのですが……せっかく生みの故郷であるイギリスと同じまたはそれを上回る愛読者”ポッタリアン”がいる日本に生まれたので、今年で書籍「賢者の石」出版20周年を迎えた記念すべき映画化1作目を私のハリポタ愛に満ちた文章で日本のファンの皆さんにお届けしたいと思います!

私が手掛けたレビューの数々または7万人のレビューをも超える長文になるかもしれません。
ですが、この作品は私の誕生と共に物語が進み、まるでハリーたちの成長と私の成長がシンクロしている様に感じるのです。
実際そうなのですが……笑
とにかくこの作品への想いは計り知れないほどで、今なおその想いは消えるどころか膨らみ続けています。
ハリポタコレクションも書籍や章を代表するアイテム、キャストや著者の直筆サインまで大雑把に数えても200後半は超えているかと…笑
並べると一つの部屋がコレクションで埋め尽くされる大事態になりかねません。

前置きが長くなりましたが、早速とっておきの魔法界を覗いてみましょう!
魔法の杖を片手に、あの名曲を添えて……


《物語のはじまり》
すべては、1997年のある冬の朝に始まった。
シリーズ全作をプロデュースしたデイビッドヘイマンのアシスタントがオフィスにやってきて、ある新人作家のデビュー作で出版前の作品だけれど、とてもおもしろかったからぜひ読んでみて、とヘイマンに1冊の本を渡した。
彼が「タイトルは?」と尋ねると……

「『ハリーポッターと賢者の石』よ」とアシスタントは答えた。

「ふ〜ん」と彼は半信半疑でつぶやいた。
「どんな話だい?」
彼女が「魔法学校へ行く少年の話よ」

この少年と魔法学校が、彼の人生を…そして私の人生を大きく変えることになるとは、そのとき予想だにしていなかった!

彼は、J.K.ローリングが描く世界はとても魅力的で、彼女の想像力は実に豊かだと話す。
彼女が創り出した魔法の世界とキャラクターは、とても馴染みやすく、実によく練られていた。
ヘイマン自身はホグワーツのような寄宿学校…残念ながら魔法学校ではなかったが笑…に通っていたらしい。
そこには敬愛していた先生もいたし、大嫌いな先生もいたと言う。
ハリーやロン、ハーマイオニーのような子もいれば、友だちを作るということや、自分の居場所だと感じられる場所を見つけることがどういうことなのかも知っていた。

そして翌朝、ヘイマンはこの作品をぜひ映画にしたいと思い、ワーナーの重役であり古くからの友人ライオネルウィグラムにこの本を送った。
そしてさっそく権利の獲得に乗り出すことになり、彼自身は本作を程良い規模の英国的映画に仕上げるつもりでいたらしい。
2000人以上ものスタッフやキャストが関わる大作映画になるとは想像すらしていなかった……

その後、ヘイマンはローリングに会い、彼女の描いた原作にできるだけ忠実に映画化できるよう全力を尽くすつもりだと約束する。
そして彼女はプロデューサーがこれ以上望めないほど素晴らしい協力者となってくれた。
彼女のサポートは限りなく、台本を丹念に読んでアドバイスした。
映画化するためには、ときに原作を変える必要があるということも、理解してくれた…個人的には残念ですが、仕方ないのでしょうね…。
さらに彼女は質問したいとき、道を外れそうになったとき、必ずそばにいてくれたのだ!

脚本家選びに入る。
何人もの脚本家が断ったにも関わらず、今でもその初版本を持っているのは笑える!
だが脚本家選びはすぐに終わる。
スティーブクローブスが、自分がやりたいと言ってきたのだ!
彼は「ワンダーボーイズ」の脚本でも分かるように、原作者の声を代弁するのが非常にうまい脚本家だった。
スティーブは「不死鳥の騎士団」以外すべての脚本を担当することになる。
ヘイマンは彼をこう称する。
今思い返すと、あのとき他の脚本家たちがみんな断ってくれて本当に良かった。
スティーブなしでこの旅に出るなんて、今となっては想像もつかない……と。

監督、キャスト、あの3人と、この壮大で観客の心を掴みっぱなしの作品を創り出すマジカルチームが出来上がってきた。

いろいろな意味で私たちは家族同然。
終わりが訪れたとき、それは誰にとっても非常につらいことになる。
だが、新しいチャレンジに挑む高揚感もある。
新たな世界を探求し、さらなる経験を積むことは、私が常に待ち望んでいることだ。
私たちがとても特別なことに関わり、このような経験は2度とありえない。
まさしく”魔法”だったのだ………

《マジカルチーム》
まだ監督について話していませんでしたね。

「僕はすっかりこの本の虜になってしまったんだ」

「ホームアローン」「ミセスダウト」の監督を務めたクリスコロンバスは言う。
彼は娘からこの本を薦められてすぐ、ぜひとも映画化したいと考えた。
クリスはエージェントに映画化の可能性を打診してみたところ、答えは芳しいものではなかった。

エージェントは……
「順番を待ってもらわないと。この作品を映画化したいディレクターは、他にも50人ぐらいいるんでね!」

順番待ちしている顔ぶれというのが、スティーブンスピルバーグ、ジョナサンデミ、アランパーカーたちだった。
だが、ヘイマンとワーナーと面談したクリスが、この魔法の世界をどうやってスクリーン上に描き出すかについて熱弁をふるったところ、この仕事はついにクリスのものになったのだ。

このころには、非常に多くの熱狂的なファンがハリーポッターの映画化を待ち望むようになっていた。
しかし、彼らはまた、期待が裏切られたときには痛烈な批評家になりうる存在だった。
これは、エキサイティングかつ難題が山積した挑戦だった。

「僕たちがファンを無視しすぎたら、ファンは怒り心頭だったろう」
後にクリスは『タイム』誌のインタビューでこう答えている。

だが、原作に忠実である一方で、映画を適正な長さに収めるためには、いくつかのエピソードをまとめたり省いたりしなくてはいけなかった。
こうして、ダーズリー家でのハリーの生活シーンの多くや、ハリーが賢者の石に辿り着く前にハーマイオニーと一緒に解かなくてはいけなかったスネイプの魔法薬のテストシーンが省略されることになった。

脚本、監督が決まると……
主役であるハリー、ロン、ハーマイオニー役のキャスティングが始まった。
希望者は何千人といた。
すべてのオーディションとスクリーンテストが終わって15年経った今でも、クリスはキャストを選んだ決め手を憶えていると言う。

「エマワトソンには驚いたよ。エマにはハーマイオニーのユーモアのセンスがあった。明るくて、切れ味がよく、カメラはエマを求めていた。エマはハーマイオニーそのものだったんだ!」

「ルパートグリントは威勢がよく、茶目っ気に溢れていた。そして、顔の表情がとても豊かだった。ユーモアのセンスが素晴らしく、役になりきっていた。」

ダニエルラドクリフに対するチームの感想は、クリスによるとユニークなものだったらしい。

「ダンのスクリーンテストは素晴らしく魅力的だった。彼は教えようとしても教えられないものを持っていた。それは原作のハリーポッターが持っている、何かに取り憑かれているような雰囲気だった。どこから来るのかわからないが、より真剣になったときのダンの目には、それがあった。」

そして、英国の名だたる俳優たちがキャスティングされた。
経験豊富で、才能に溢れたイギリス中の映画職人たちが、このプロジェクトに参加することになった。
「危険な関係」「イングリッシュペイシェント」「ガンジー」でオスカーを3度も受賞したスチュアートクレイグをプロダクションデザイナーとして選んだことで、ローリングの世界の映画化は、成功を約束されたようなものとなった。

クリスはスチュアートをこう称する……
「彼は本で読んだ世界と同じような世界を創り出す。でも、それは本のとおりの世界じゃないんだ。彼は、原作の世界をもとにして、さらなる夢を描き出すんだ!」

ハリーポッター第1巻は、”発見”について書かれている。
ハリーは、自分が魔法使いであることを発見し、魔法の世界…ダイアゴン横丁やホグワーツ…を発見する。
友人を発見し、家族の歴史について真実を発見する。
そして、〈名前を言ってはいけないあの人〉との関係を発見する。
第1巻が成功するかどうかの鍵は、こうしたハリーの経験と発見をもとに、帽子がしゃべり、鏡が人間の心の底の願望を映し出し、人間の体が邪悪な力によってのっとられる世界が実際にあり得ると思えるような映像をスクリーンに描き出せるかどうかにかかっていた。

《9と3/4番線》
9と3/4番線ホームは、J.K.ローリングの創作だが、キングスクロス駅は実在するロンドンの大きな駅だ。
スチュアートによると、キングスクロス駅の9番線と10番線は中央駅舎にはなく、小さな別棟にあったと言う。
中央駅舎のほうが印象がより強いので、プロダクションチームは9番線と10番線の代わりに、3番線と4番線を使うことになった。

クロスは、可能な限りCGよりも実際にセットを組んで魔法の世界を作り出すことを好んだ。
しかし、最終的に9と3/4番線へ通り抜けるシーンは、ほとんどCGを使うことになった。

キングスクロス駅での撮影は、日曜日に行われた。
一番駅が混まない日だからだ。
だが〈ホグワーツ特急〉がプラットホームに姿を現すと、我が目を疑う人たちで、黒山の人だかりができてしまった。
ファンにとって記念すべき日になってしまった。

〈ホグワーツ特急〉は、1937年にグレートウェスタン鉄道のスウィンドン工場で作られ、1963年まで走っていた本物の蒸気機関車〈オルトンホール〉号が”演じて”いる。
他の何百という古い蒸気機関車と同じように、この機関車もサウスウェールズにあるスクラップ工場で命を閉じようとしていたが、この列車は1997年に救い出されて、ハリーポッターシリーズのために作り直された。

《ダイアゴン横丁》
ロンドンで実際に〈ダイアゴン横丁〉を撮影するならどこだ?

撮影候補地の周りには邪魔になるような現代風の建物が必ず近くに建っていた。
それで、これはもう自分たちで作るしかないと諦めたとクリスは言う。

スチュアートがイメージしたのは、ヴィクトリア朝の偉大な作家チャールズディケンズの作品に描かれているような古式ゆかしいロンドンだった。
1800年代初期の街の様子を調べてみると、いろんなものが見えてくる。
たとえば、建物がいろんな角度に傾いていたり……それもしばしば危険なほどに。

横丁で人気の脇役たちの衣装デザインの特徴は、ありふれたものとファンタスティックなものが混じりあっているところにある。
衣装デザイナーのジュディアナマコフスキーは「オズの魔法使」と同じような感じを出したかったと言う。
現実の世界からダイアゴン横丁を訪れているのはハリーだけ、という感じが、エメラルドシティに似ている…
いまだかつて想像すらしたことのないような世界に足を踏み入れたハリーが抱く畏敬の念を観客たちも感じることが出来るのだ。

「杖の方が持ち主の魔法使いを選ぶのじゃよ、ポッターさん」
〈オリバンダーの店〉は紀元前382年創業。
さまざまな形やサイズの杖を積み上げたいというリクエストに応えるうちに、小道具の職人たちは杖作りの熟練者になっていた。
その数なんと、17000個にまで及ぶ!
それぞれの箱には数字や神秘的な文字が書かれたラベルが貼られ、証明書のようなものまでつけられている。
それらの多くは、何世紀も埃にまみれていたように見えなくてはいけないし、どの箱も風変わりな店主にしかわからない、一見無秩序に思える順番で積み上げられていなくてはいけないのだ。
オリバンダー老人を非常にエキサイトリックなキャラクターにするために、今は亡き無類の名優ジョンハートに役を依頼した。
ジョンによると、役になりきるには、かなりの想像力を駆使しなくてはいけなかったらしい。

「杖職人について調べるなんて無理な話だよ。そうそうお目にかかれる相手じゃないからね!」

《大広間》
ホグワーツの〈大広間〉のセットは、今日の映画業界では極めて稀なケースとなっている。
なんとほぼ10年間使用され続けているのだ。

驚くべきことに、スチュアートは大広間の石畳の床にかなりの予算を投じるだけの先見の明を持っていた。
おかげで床は本物のヨークストーンで作られることになった。
ヨークストーンの床は10年もの間、膨大な数に上る若手俳優やベテラン俳優、そしてカメラスタッフたちに踏まれ続け、それに耐えてきたのだ。

大広間の内装は、オックスフォード大学のクライストチャーチカレッジ(16世紀に建造)や英国国会議事堂のウェストミンスターホールからヒントを得た。
クライストチャーチカレッジのグレートホールは、木のパネルの壁、高い窓、長いテーブルとベンチといった、これぞまさしく伝統校のホールだという威厳に満ちていた。
スタジオには十分な高さがなかったので、視覚効果によって印象的な木製の屋根が作られたのだ。
この屋根は”ハンマービームの小屋組み”式で作られたウェストミンスターホールの天井をモデルにしているが、梁の間からは空が見えるようになっている。
エマのお気に入りは「アズカバンの囚人」で使われた、この上なく見事な宇宙画だ!

《クィディッチ》
「クィディッチを本当のスポーツのように見せたかった」とクリスは言う。

クリスにとっては、単に原作者と読者を満足されるだけでなく、映画でクィディッチを見たすべての人が……原作を読んでいない観客も含めて……理解できるゲームにすることが極めて重要だった。

クィディッチの巨大なセットをスコットランドの山あいに作るなんて、到底実現可能とは思われなかった。
そこでコンピュータで画像を作る(CGI)ことに、方針を転換せざるを得なかった。
基本的にクリスは何事も実物を作る方が好みだったので、これは重大な転換を意味した。
とはいえクリスたちは妥協し、タワーの上下部分だけをスタジオセットとして作り、競技場と試合はデジタル加工することにした。

誰にとっても楽しくて危険なスポーツ……それがクィディッチだ!

《チェックメイト!》
このシーンのために、巨大なチェス盤と、4メートル近い大きさの駒が作られた。
無線操作で駒を動かすのだが、その高さと重さ、そしてベース部分が比較的小さいことを考えると、簡単とは到底言えない作業となった。

駒が機械的に床を動いている映像は、本物の恐怖とサスペンスを生み出した。
驚くべきことに、このシーンで視覚効果はほとんど必要とされなかったのだが、デジタルの魔法が使われたところも少しある。
たとえば、ポーンのひとりが動き出し、剣を引き抜くシーンがそれに当たる。

シーンが素晴らしいものになったのは、特殊効果のおかげだけでなく、ロン役のルパートグリントの演技のおかげだ。
ロンが駒の力を目の当たりにし、友だちのために犠牲になろうとしたとき、ルパートから本物の恐怖だけでなく気高い勇気も感じた!

《ファンタジー映画を見事に彩るウィリアムズの音楽》
「ハリーポッター」にいつもながらの得意のシンフォニーサウンドを駆使して、華麗な音楽を添えるのは、映画音楽の巨匠ジョンウィリアムズだ!
5度オスカーに輝いた巨匠と監督のクリスコロンバスとのタッグは今作で4度目となる。

スコアは全編にわたり神秘的でクラシカルな雰囲気が漂う。
チャイコフスキー、プロコフィエフなどが書いたロシア・バレエ曲を彷彿させる、ゴージャスなサウンドが展開するのだ。
また、曲を聴いただけで、舞台となるロンドンの古き寺院をそのまま思い起こさせてくれるような、素敵なサウンドも堪能することができる。

特に印象的なのは、「プロローグ」などで聴かれる、チェレスタの音色である。
ウィリアムズのファンタジー系のスコアには必ず登場する楽器であるが、いつもは隠し味的な使い方が多かった。
ところが今回はチェレスタに主旋律を歌わせるという実にユニークな手法をとった。
テーマのバリエーションとして、ポイントとなるメロディとしてチェレスタがふんだんに使われている。
これらはクリスマスの雰囲気がいっぱい詰まった、可愛らしい音色なのだ。
しかし頻繁に出てくると、少し小悪魔的な音色にも聴こえてくる。
それらを意味するものは、”魔法使い”なのかもしれない。

そして私の極めつけは、「クィディッチマッチ」!
魔法界の人気スポーツ、クィディッチの試合シーンで登場するこの曲は、ブラス中心の勇ましいマーチだ。
これはまるで「スターウォーズ:エピソード1」の音楽を聴いているかのように格調高く、見事なオーケストラスコアで魅了、おそらく「エピソード2」の音楽といっても信じてしまうほど、強烈なバトルスコアにあなたの心を侵略されることだろう!

《チェックポイント》
♣︎実は1巻から登場しているシリウス

最初に読んだときは気が付きませんが、原作では「賢者の石」の時点でシリウスブラックがすでに登場しています。
ハグリッドがオートバイを借りた相手がシリウスで、「ブラック家のシリウスっちゅう若者に借りた」というセリフがあるのです【第1章】。
「賢者の石」だけを読む場合には、シリウスという名前には何ら重要性はなく、いわば余計な情報ですから、映画ではこのセリフはカットされています。
本を何度か読み返すことを前提にしてはじめて、シリウスという名前が重要な意味を持ってきます。
作者は、ハリーポッターが児童文学であること、子どもは気に入った本ならば何度でも読み返すことを前提に、読み返す度に新たな発見がある本として(あるいは、そうなって欲しいという願いを込めて)ハリーポッターシリーズを書いたのでしょう。
同様の手法が何度も使われています。
ちなみに、シリウスほどの重要人物ではありませんが、バーノンの妹であるマージの名前もこの段階で登場しています。
マージは、バーノン宛に、「腐りかけた貝を食って病気になった」という手紙をよこしています。
マージのことは、映画でもカットされていません。

♣︎原作と映画で印象が違うダドリー

♧肉体派の原作のダドリー
原作のダドリーは、かなり暴力的です。
自分がハリーを殴るのはもちろん、ピアーズ、デニス、マルコム、ゴードンという子分ががいて、「ハリー狩り」も行っています。
ダドリーには拳を振るうことに関する才能もあったらしく、4年後の「不死鳥の騎士団」の時点では「英国南東部中等学校ボクシングジュニアヘビー級チャンピオン」になっています。
しかし一方で、精神的には成長しておらず、弱いものいじめは続けています。
ちなみに、ダドリーがボクシングで強くなったのは1年間の厳しいダイエットのおかげなのですが、このダイエットを始めた頃の様子は、「炎のゴブレット」に書かれています。

♧映画のダドリーは……
原作のダドリーに対して、映画のダドリーは、ハリーに直接的な暴力を加えるシーンは少なく、ボクシングの件にも触れられていないので、暴力的な人物であるという印象はあまりありません。
そのため、映画では「甘やかされてダメになった子ども」というダドリーのもう一つの側面の印象が強くなっています。
原作の「謎のプリンス」でダンブルドアが言った「その哀れな少年(ダドリーのこと)が被ったような、言語道断の被害」というのは、甘やかされて成長したことを指しています。

♧カットされた和解のシーン
ダドリーがハリーに吸魂鬼から助けてもらったことに対して、ぎこちないながらもお礼をするシーンですが、バーノン一家との関係の締めくくりに当たることからしても、カットされてしまったのが惜しまれるシーンです。

♣︎失われたハーマイオニーの見せ場

賢者の石を手に入れるために通過しなければならない罠の一つが映画ではカットされてしまっています。
スネイプが考案したと思われる論理パズルがそれです。
原作ではハーマイオニーがパズルを解くことに成功して、ハリーのために道を開きます。
このシーンがカットされてしまっているため、ハーマイオニーの論理的な能力の高さを披露する見せ場が失われてしまっています。
パズルを解くというのは、映像化する魅力に乏しいという判断かもしれません。
ちなみに、映画の最後でダンブルドアがグリフィンドールに得点を与えるシーンのセリフは、原作の「火に囲まれながら、冷静な論理を用いて対処した」から、「冷静に頭を使って、見事仲間を危機から救った」に変更されています。
変更後のセリフは、ハーマイオニーが、「悪魔の罠には動かずにじっとしていれば襲われない、弱点は太陽の光である」といった点を指摘したことを指しています。
変更前も変更後もハーマイオニーの知的能力の高さは示されていますが、映画ではパズルがカットされた分、ハリーやロンよりも見せ場が少なく、ハーマイオニーの印象が薄くなってしまっているのは否めないところです。
また、原作のハーマイオニーのセリフには、「大魔法使いといわれるような人って、論理のかけらもない人がたくさんいるの」というものがあります。
このセリフの意図を、「魔法使いの世界にどっぷり浸かっていないマグル出身のハーマイオニーだからこそパズルが解けた」と解釈すると、「様々な立場の人間が自分の能力を各々発揮することで道は開くことができる」という作者のメッセージを読み取ることができます。
そうだとすると、このシーンがカットされたことがなおのこと残念に感じられます。

♣︎賢者の石の封印は、ハリーへの試練か?

♧なぜか突破可能な罠たち
ホグワーツの教師たちは、賢者の石を守るため様々な罠を仕掛けています。
フラッフィー、悪魔の罠、空飛ぶ鍵、魔法のチェス、トロール、論理パズル、みぞの鏡です。
これらのうち、フラッフィーや悪魔の罠は、それらが持つ性質を知っている者であれば容易に突破することができます。
空飛ぶ鍵は、箒を乗りこなす能力があれば取れますし、魔法のチェスや論理パズルは知力で突破可能です。
トロールも簡単ではないにせよ、実力のある魔法使いなら失神呪文や錯乱呪文を使って妨害を排除することは難しくないと思われます。
最後のみぞの鏡だけは特殊な目的を持った人物でなければ攻略不可能ですが、それ以外の罠は挑戦者の実力次第で何とかできるものばかりです。
それならいっそのこと賢者の石を秘密の場所に隠して、ダンブルドア自身が「秘密の守人」になれば、ほとんど完璧といえる守りになるでしょう。

♧ハリーのセリフが答えか?
この疑問の答えは、「たぶん、僕にチャンスを与えたいって気持ちがあったんだと思う」というハリーのセリフにありそうです。
この時点のハリーは知る由もありませんが、ダンブルドアは今回賢者の石を守り抜いても、ヴォルデモートがいずれ復活すること、ハリーにはいずれヴォルデモートと生死を賭けた対決をしなければならない運命が待っていることを知っていました。
ダンブルドアは「矢のように四階にかけていった」のですから【第17章】、ハリーの勝利を確信していたわけではないでしょうし、ハリーのことを心配もしていたのでしょうが、これから過酷な運命が待っているハリーの成長を促すために、今回の一件が大いに役立つと考えたのでしょう。
最後のみぞの鏡の仕掛けが、ハリーになら賢者の石を取れるものになっていたことも、一連の罠がハリーのために設けられた試練であったことを裏付けているのではないでしょうか。

《最後に……》
ダニエルにはインタビューで常にこの質問をされるのだそう。

「映画『ハリーポッター』シリーズが、僕の人生にどういう影響を及ぼしたか」

映画の中で成長していくのはどんな感じ?
この映画でどう変わった?
セレブになるのはどう?
”普通”の子ども時代を経験できなかったのでは?

しかし正直言って、彼には違いがわからないのだと言う。
普通じゃない世界が、彼にとっては普通なのですから……

そして私が思う映画化が成功した主な要因は二つ!
まずはキャスティングだ。
丸メガネを見た瞬間、ファンはこぞって「これぞハリーポッター!」と認めた。
3人が生み出す化学反応は、これから綴られる永遠の友情物語を信じさせるに十分だと私は感じる。

そして二つ目は魔法の世界の描写。
「頑丈で長く使える」を念頭に莫大な製作費を注ぎ込んだセットは重厚にしてリアル!
ホグワーツを象徴する大広間の圧巻さ、グリンゴッツ銀行内のトンネルが織り成す奇想天外さは何度見ても素晴らしいとしか言いようがない。

魔法族独特のしきたりやスポーツは斬新で、ダンブルドア校長をはじめとするキャラクターもユニーク。
各々にエピソードがあり、誰ひとり、なにひとつ見逃せない!

魔法……

今の世の中では、めっきり聞かなくなってしまった言葉。
ところがJ.K.ローリングが書いた「ハリーポッター」シリーズのページをめくりながら、大勢の人たちが魔法を再発見したのです。
私たち大人は、自分たちが今より無垢だった時代に連れ戻されました。
今よりも明るい未来が待っているという予感と、善は闇と悪に打ち勝つことができるはずだという可能性に初めて気づいた、あの時代にです。

さぁ、最後まで読んで下さったハリポタファンは勿論、まだ愛と友情に溢れた魔法の世界を目撃していない方も、私の文章をきっかけに「観てみよう」という好奇心に満ち溢れていると嬉しいです!

それではまた、魔法の世界で……
〜フィニートインカンターテム 呪文よ終われ〜
katsu

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