「007/ドクターノオ」が1962年。
恐らく、この007シリーズの影響の元に本作が本作が製作されたのだろうが、圧倒的にこちらの方が面白い。
若干の違いこそあれ、「スパイ」としてのキャラクターや行動はショーン・コネリーも市川雷蔵もほぼ同じ。
人間の感情を必要としない極限の「職場」においての有り様はまったく同じだが、非情さは本作の方が際立っている。
個人としての理想や思想を持ったエリートたちが、その中で個人としての考えを持つことにより脱落し、即ち死んでいく。
それも挙句は粛清されていく中で、市川雷蔵はとにかく「無」のまま。
表情を見せるのは、あくまで職務の中で別人になりすましたときだけ。
これはある意味で「俳優」ということのメタ性なのかもしれない。
ある種の殺人マシーンと化していく雷蔵に対して恩師となる加東大介の人間味というのが深読みすれば逆に怖い。
人間味故に、殺人マシーンを育成する手段として演じているのかもしれない。
大きな話は起きないが、何の罪もないものに対しても何も思わない、そんな不気味なリアリティのある作品。