kuu

夜と霧のkuuのレビュー・感想・評価

夜と霧(1955年製作の映画)
3.8
『夜と霧』
原題NUIT ET BROUILLARD
製作年1955年。上映時間32分。
第二次世界大戦中、ナチがアウシュヴィッツのユダヤ人強制収容所でユダヤ人を虐殺した事実(ホロコースト)を告発した1956年公開のドキュメンタリー映画。

忘却され荒廃した現在のアウシュビッツのカラー映像と、戦争を再現するモノクロ映像を対比させて戦争を糾弾、その美しく厳しい映像と詩的なナレーションが胸に迫る映画。

題名が同じやし、精神科医のヴィクトール・エミール・フランクルが書いた『夜と霧』を原作にした映画やと思い込んで鑑賞し始めた。
せや、題材が同じだけで違った。
違うのは違ったがこの映画と出逢えたのは自分の成長の糧としてはありがたい。
上記のヴィクトール・エミール・フランクルを掻い摘まんで書くと、4年間にも及ぶ収容所生活を奇跡的に生き延びた心理学者だ。
そのフランクルが、その作中で「『人は何事にも慣れる存在』と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人は何事にも慣れることが出来ると云うが、それは本当か、本当ならそれはどこまで可能かと訊かれたら、私は、本当だ、どこまでも可能だ、と答えるだろう」と書いてる。
これは、危険でいて怖ろしい言葉じゃないかな。
支配する側も支配される側もいかなる刻薄で没義道な仕打ちでさえなれちゃえばヘッチャラになれるちゅうこと。
筆舌に尽くしがたい体験を生き抜くちゅうのはそう云うもんなんやと云いたいんやとおもう。
それは、人間は生きていさえすれば、希望を持ち続けられるということ、パンドラの箱でさえすべての災いが地上に飛び出しても、希望だけが残ったちゅうから。
この映画『夜と霧』は、絶望的な映画やけど、人が同じ人に対してどんなことまででけんのかを、末法の世を示した映画や。
しかし、この映画が、一切の緊張感のない夢想を蹴散らした『希望薄の映画』やからこそ、ぬるま湯に生きるモノに、未開の地に一歩を踏み出せよって厳格に求めてくる物語やと思う。
kuu

kuu