SN

夜と霧のSNのレビュー・感想・評価

夜と霧(1955年製作の映画)
4.2
だいぶ躊躇をしていたが、避けては通れない作品ゆえに、背すじを正し、正視した。

まず第一に、これは映画という媒体がうみだした偉功でありながら、これ以上の表現を許さない限界点でもある。この限界は、映画の手法としては悲劇的な帰着なのだが、観客にとってはある種の天佑と言える。なぜか。その答えは、これがあくまでもドキュメンタリー調である、という点にある。

モンタージュ。文学や絵画、なによりも現実と、作品とを分けるこの手法が重要な働きをなしている。というのも、実際の出来事というのは、これよりもさらに過酷であったからだ。カット割り、映像と写真の使い分け、30分弱の尺、これらの作業はすべて、時間の持続という責め苦から観客を救いだす。そして、時おり挿入される現代の描写によって悪夢に魘される観客は安堵する。
この継ぎ接ぎだらけの手法が、作品への一方的な埋没を拒む。さらには、この作品で表現されるのは単なる対象としての描写であり、強制収容所の暴戻で残忍な現実の単なる確認でしかない、ということを示してくれる。加えて、その半端な態度が、レネのいかなる派閥の肩を持たぬ姿勢の表れにもなる。

この映画は三つのパートに分かれており、意図的に描き方を変えている。そのパートの連続性を支えているのが、詩人であるジャン・ケロルのテクストである。のべつ幕なしに語られる彼の声が、現実に注釈をつけていきながら、その乾いた態度が、作品との適度な距離感を与える。

この作品は、レネ作品全体がはらむサディックな「恐怖」の噴出と、モンタージュの技巧の手本として、きちんと見直されるべきである。

ただ、この歴史的作品を前にして、我々に許される唯一の態度というのは、ただ静かに凝視すること、それだけだろう。
SN

SN