ダラヲ

スプライスのダラヲのレビュー・感想・評価

スプライス(2008年製作の映画)
1.8
久しぶりに見た!探求心とスケベ心から生まれた疑似スピーシーズ!カテゴライズ不能な迷走映画。


まず始めに、スピーシーズといえば第一作「スピーシーズ種の起源(1995)」から始まる4部作とアルマゲドン並みに多い派生作品で今なお映画ファンから愛されるアメリカの金字塔的名作映画である。
中には小さい頃になんとなくゴールデン洋画劇場をつけたらやっていてお茶の間が凍りついたという人もいるのではないだろうか。安心してほしい、私もその一人だ。


内容としては宇宙に向けたメッセージからの返信に『未知のDNA情報』があって人間と組み合わせたら美少女生物”シル”が誕生するというもので、その目的は多種と交わり子孫を増やす事であり「ねぇ今すぐここで…」的あはーんうふーんな展開がありつつも「ぱっくんちょするつもりがぱっくんちょ」されちゃう映画なのである。うむ、立派なSFホラーだ!ここから先は是非自分の目で確かめてくれ!

(”シル”の本性はエイリアンをデザインしたH・R・ギーガーが造形を担当しているのでそういう意味でも必見である。)




さて、このスプライスもスピーシーズ同様新種発明や異種姦という物語のコアの部分は共通するので本作でも同じように艶かしいシーンが有るかと言えば、実はそうでもない。
所謂エロティシズムや背徳感を覚えることなくあっさり見れるので濡れ場的なものを欲する方々の期待には応えられないだろう。
それよりも種の創造と野心に囚われた研究者にフォーカスしている。
つまりエロ目線で見るものではないのである。
かといって絵面が万人受けするわけでもない。

例えば、いかにもオタク風な遺伝子工学者のクライヴとそのパートナーである妻のエルサが3年に及ぶDNA結合実験の結果、まったく新しい種類の生命体を生み出したのが


どうみてもちん○こです。


そのちん○ぽみたいな生き物が2本もうねうね保育器の中を動き回る様が非常に気持ち悪く、私の本能が直視する事を拒否していた。あれはゴキブリを見た時の嫌悪感を彷彿させる。
そして亀の頭頂部からオゴノリのような触手が出てきた時点で私は無意識にお昼ごはんの事を考え出した。これはそうやって意識を逸らさなければ自我が保てなかった脳の自己防衛反応であり、論文を書けばネイチャーに載る事は間違いない。


さてそのぽこ○ちん生物をラボにいる弟に預け、二人はついに分水嶺を越えてヒトの卵子を使い新たなDNAを作り出してしまった。
自身の研究結果を確かめたい一心のエルサは「先っちょだけ!先っちょだけだから!」と薄い本の主人公のように胚が分裂するのを確認したらすぐに止めるからと無理やり人工胚を人口子宮へ着床させる。
そしてその人口子宮から取り上げた新しい生命体が…


足の生えたち○こである。


恐竜のようなシルエットだが質感は肉々しく、それでいてCG感は否めない。現代奇術のハイブリッドだ。
二人はそれにドレンと名付けことあるごとに処分すべきだとか人類の発展のためとかで口論しつつも奇妙な3人生活が始まるのである。


大きくなったドレンは不気味の谷を越えようとする爬虫類のような姿で、これもギリギリ観賞に堪えるビジュアルとなっておりイマイチ画面の中に没入しきれない。それは隙あらば私の脳が昼食のメニューを考えてしまうからで、映画を見ながら意識と無意識を操る脳トレまで出来てしまうという監督の粋な計らいなのは言うまでもない。

このドレン、頭に毛は無いのだが眉毛とまつ毛はある。途中人形を与えられて自分との容姿的な違いを理解している風なシーンがあるのだが、最後までウィッグを被ったりはしなかった。
想像して頂きたい、ちょっと綺麗な瀬戸内寂聴がワンピースを着て踊るのである。うん、なんかホラーらしくなってきたぞ。


そのまま人間っぽい生活を仕込まれていくかと思ったのだが、母親代わりのエルサから与えられる愛情というのはどうもペットや所有物に対するそれのようであり、あくまでも自分で生み出した研究実験体なだけという側面を都合の良い時だけ強調している節があった。
しまいには歯向かったからという理由で彼女の身体を拘束し勝手に手術までしてしまうシーンが衝撃的で、まさに子を虐待する母親そのものである。
かと思えば執着したり涙を流したりと独善的で自分勝手な感情を持って接しており、その理由は終盤まで明かされない。


対してドレンから見たクライヴは父親ではなく異性であり、成熟した彼女に何かを見た彼も一線を越えてしまう。このあたりの描写は本家スピーシーズほど生々しくなく、あくまでもちょっと綺麗な瀬戸内寂聴が男の上に跨っているのみであると伝えておきたい。



基本的にはふたりとも思考がぶっ飛んでいるがクライヴの方にはまだ倫理観が残っているようで、最初から最後まで自制と研究の中止を訴える彼の姿が私にとってせめてものの救いだった。

にしてもエルサの”子育て”は非常に身勝手で見ていて気持ちの良いものでは無かったし、登場人物のキャラクターと行動の乖離や矛盾を無視できるほど話に吸引力も無かった。お色気要素ならフジの昼ドラには勝てないし、科学者が一線を越えてというなら愛とジョニデが見れるセンデンスの方がお得である。



「CUBE」を作っていたあの頃のヴィンチェンゾ・ナタリはどこに行ってしまったのかと憤ったが、後半申し訳程度にスプラッタ表現が出てくるのみで終始静かである。つまりこの映画はグロ系統のものでもないようだ。

実際には子育てとは、生命を育み営むこととは…のような趣向が見えないでもないかなという所だが、そこにいくまでの壁が大きかった。だって映ってんのほぼちんこじゃん。
ダラヲ

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