猫脳髄

ウディ・アレンの重罪と軽罪の猫脳髄のレビュー・感想・評価

4.5
ウディの作品群をほぼ一周して再鑑賞すると、驚くほど印象が違う作品。後の「マッチポイント」(2005)に直結し、「夢と犯罪」(2007)、「教授のおかしな妄想殺人」(2015)などにもつながるテーマ、すなわち、「神が不在ならば、人間は道徳的であり得るか」という極めて重要な問題意識を取り上げている。

マーティン・ランドーは犯した罪に苛まれ、ラビであるサム・ウォーターストンと殺人を手引きした弟との間で善悪を激しく揺れ動き、それは幼い頃の信心深い家族の姿を幻視するまでに高まっていく。

しかし殺人は露見せず、ラビは失明し、ランドーは神の不在を確信して安堵するのである。神の抑圧から解放された人間はいかに振る舞い得るかという困難なテーマを、自身が出演して笑いを織り交ぜることで緩衝させつつ練り上げた傑作。

必ずしも神の不在が人生を運や狡知次第にするという謂いではなく、ウディの本音はラストシーンのダイアログと「リービー教授」が語る希望にあるのだろう。

(2023.2.25 再鑑賞 ★3.5→4.5)

ウディの珍しい笑い抜きのシリアス作品。名声を得る眼科医のマーティン・ランドーは愛人のアンジェリカ・ヒューストンから脅迫を受けており、彼女を殺害しようか迷っている。一方、冴えないドキュメンタリー監督のウディは、家庭生活も崩壊し、金のために嫌っている義兄のアラン・アルダの密着モノを撮るハメになる、という2つのストーリーが同時並行する筋立て。

ユダヤ教の「神」の存在に怯えつつも殺人を断行しようとするランドーと、妻がありながら撮影中に知り合ったミア・ファローに入れあげるウディ。重罪と軽罪がそれぞれ進むなかで、偶然2人はあるパーティーで遭遇することになる。

これはちょっとバランスに欠けたきらいがある。ランドーとウディそれぞれのドラマにかい離があり過ぎて、罪の重さが人間の選択によるものに他ならないという重いテーマを支えられていない。サム・ウォーターストンという両者にまたがるキャラクターを出しながら、それも有効活用できていない。テーマに対してやや力不足の印象が残る。

ただ一点だけ、夫婦でアラン・アルダの自慢話を聞くシーンでのウディの愛想笑いが絶妙にカワイイのである。これだけは言っておきたい(23/50)。
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