ALABAMA

ひとごろしのALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

ひとごろし(1976年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

松田優作主演の時代劇。映像京都、徳間書店傘下となった新生大映、そして永田雅一率いる永田プロが提携している。配給は松竹が担当。監督は、本作が唯一の映画作品となる旧・大映京都撮影所出身の大洲斉。
武芸の腕は全くなし、犬にも怯えるほどの臆病者である福井藩士、双子六兵衛は、情けない兄の所為で結婚もできないと嘆く妹の言葉に一念発起し、上意討ちに名乗りをあげる。上意討ちとは、藩命により罪人を討つこと。討つ相手は、福井藩お抱えの剣術指南役であった仁藤昂軒。仁藤は、剣の腕は確かだが、藩内の評判は芳しくなかった。仁藤を快く思わない藩士たちは、彼を闇討ちしようと企むが、敢え無く返り討ちに遭ってしまう。当の仁藤は、藩主の寵臣を切り捨てた上に、勝手に福井藩を飛び出すという行動をとったため、この度の上意討ちが命令された。六兵衛は、福井藩を飛び出し、浪々の旅をする仁藤の跡をつけるものの、すぐに討手であることがばれてしまう。剣の腕もからきしな上に、そもそも斬りかかる度胸のない六兵衛は、その場から逃走。何とか逃げられたが、このままおめおめと帰るわけにもいかない。そこで彼が思いついた策というのが、仁藤のいく先々で「ひとごろし!」と叫び、神経を衰弱させていくという卑怯なものであった。この情けない上意討ちの結末は、ここでは書かない。
映像京都が制作に関わっているとあって、スタッフは大映京都で固められている。監督の大洲は、大映京都の助監督出身。撮影は牧村地志、照明は美間博、美術は西岡善信(企画も担当)とあって技術は一級品。特に照明は、江戸時代の室内における暗部を非常にリアルに浮かび上がらせているという点で、特筆すべきだと思う。ただ、フィルムの感度が悪く、暗部がだいぶ潰れている。70年代の映画としては珍しく、スタンダードサイズで撮られており、おそらくは16mmのテレビ用として使われていたものをそのまま使用したのではないだろうか。その他、セットの杯数やシナリオ、キャストの人数等から察するにこの作品はかなり低予算で作られたものだろう。しかし、予算という制限を逆手にとり、制限を表現に変える術が鮮やかなのが、本作の特徴。例えば、仁藤が闇討ちされるも福井藩士たちを返り討ちにする場面。一面霧に包まれる空間で、立ち回りが展開される。霧(スモークマシン)で、いっぱいにすることによって背景は全く見えなくなるから、ロケに出なくても良いし、セットも建てる必要がない。この作品ではナイトシーンでロケに相当する箇所は、このシーンだけだ(夜の川辺で六兵衛とおようが語り合うシーンもロケーションだが、これは日中にツブシで夜っぽく撮られているだけなので、ナイトロケではないし、星空も合成)。つまり、この作品にナイトロケはひとつもなく、照明機材も少なくて済むし、撮影時間も短くなる。そうして生まれたシーンなのだろうが、霧が立ち込める夜半の斬り合いは非常に印象的なシーンに仕上がっている。意図していたかは別として。制限を表現に変える技術は日本映画の長所と言える。
この作品は、話もおもしろく、役者の芝居も素晴らしいので中々の秀作だとは思うが、残念な点もある。脚本と編集が非常に残念だった。脚本は説明的でシーンの連続の仕方がなんとも不細工だし、編集は間もへったくれもない、実に情緒ない繋ぎっぷりだった。観ていて違和感を覚えるほどに。なぜ、テレビみたいに尺を気にしたような繋ぎ方になっているのだろうか。気になる点はあるものの、それも含めておもしろい作品。ここで書いてあることは、あくまで作品を見た上での推測と感想なので、裏付けはない。
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