カタパルトスープレックス

審判のカタパルトスープレックスのレビュー・感想・評価

審判(1963年製作の映画)
3.8
オーソン・ウェルズが活動の場をヨーロッパに移してから作った最初の作品です。フランツ・カフカの未完の小説『審判』の映像化作品となります。

多くのオーソン・ウェルズの作品がそうであるように、映画技法には目を見張るものがあります。特に銀行のオフィスや審判の場など多くのエキストラを使った場面は構図の素晴らしさもあって圧巻です。ライトの使い方やカットをつなぐモンタージュも上手い。

ストーリーはほぼ素直に原作の小説にしたがっています。独自のアレンジは最小限に抑えられています。「掟の門前」の講話が最初になったり、舞台が現代になっていたり、最後がカフカが本来意図したエンディングに近かったりするくらい。だから、小説『審判』の映像化作品と言えます。つまり、オーソン・ウェルズの独自の解釈はほぼないと言っていいと思おいます。独自の部分もカフカの言いたいこと以上のことが言えていない。

なぜ、オーソン・ウェルズがルイス・ブニュエル監督やフェデリコ・フェリーニ監督のような評価がされないのか?ちょうど同時期に不条理劇をやっていたのに。ブニュエルであれば『小間使の日記』、フェリーニであれば『8 1/2』がほぼ同じ年に公開されています。映画技法だけをとれば、本作はこれらの作品と比肩します。それくらい素晴らしい。

しかし、本作からオーソン・ウェルズが伝えたいことが伝わってこないんですよね。まんまカフカの小説『審判』だから。あの不条理を映像化したってのがすごいのかもしれないけど、不条理の映像化だけだったらブニュエルもフェリーニもやってるわけで。

あと、オーソン・ウェルズの不条理劇に欠けているのが「笑い」だと思うんですよね。ユーモアがない。ブニュエルにもフェリーニにもユーモアがある。最近だとデヴィッド・リンチにもユーモアがある。モンティ・パイソンなんてその代表格でしょう。不条理の中に「クスッ」と笑ってしまう要素が入ってる。オーソン・ウェルズの不条理劇にはそれがないんだよなあ。

オーソン・ウェルズは映画監督というよりも、映像作家なんだと思います。テーマ、ストーリーやキャラクター造形のような映画の基礎となる要素にはあまり興味がない。相米慎二監督が最初の頃はそうでしたよね。相米慎二が映像作家から徐々に映画監督に変貌していったように、オーソン・ウェルズは映画監督から映像作家に変貌していった。だから、オーソン・ウェルズ監督というのに少し躊躇してしまう。