毱

ふたりの人魚の毱のネタバレレビュー・内容・結末

ふたりの人魚(2000年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

大傑作すぎる!!!体感的には30分で終わってしまった、ってくらい引き込まれ続けていた。

ゆれにゆれる手持ちカメラ。
わたしは、『湖中の女』とか『エルミタージュ幻想』といったPOVショットによる映画が好き、というのもあるが、金をもらって映像を撮ること(ただし、カメラは嘘をつかないから、クレームは受け付けない)を仕事にしている主人公(ヴォイス・オーヴァーの声の主)が開始5分(?)もせずに訪れる恋人となった女の姿を追うカメラにまず惹かれて、この男はこの女のことが本当に好きなのだな、と思えて感激してしまった、というのはある。そんなことは、映画でみるから高揚してしまうのであって、実際に恋愛をしたとき、相手がわたしにそう思ったり、あるいはわたしが相手にそのような感情を抱いている、と認識してしまったら、わたしはきっとさめてしまうのだけど……。

そうして彼女と向き合うなかで、彼女は別のカップルの話を持ち出し、そのふたりの物語を語る。わたしがいなくなったとしたら、彼のように、わたしを探してくれるのか?と彼女は聞き、映画は彼女が持ち出したカップルの物語を追いかける。

その二つの物語が交わったり離れたりを繰り返すこの映画。
主人公の男の姿は明確に画面には現れず、映ったとしても手などの一部だけ。
一方で、彼女が語る物語の男の姿は当然のことながら画面に映し出され、いわゆる普通の映画のように、三人称的に捉えられる(顔も捉えられれば、背中を追いかけたりもするし、腕などを映り込ませただけの、非常に近しい距離で捉えられたショットもある)。
驚くべきは、その二つの視点が時にワンカットのなかで移行すること。ワンカットである以上、明確な境目を断言することはできない。しかし、明らかに、人称が移り行くときがある。物語上の交錯と、映画上の交錯……。同一視されつつある主人公とその物語のなかの男。

ただし、それは、とりあえずの映画的物語「おわり」において、「同一」にはならない。同じような道をたどり、それでも別の道を歩むということか。
探し続けて死を迎える男と、次の物語を待つといい目を閉じる男。
(ふたりの男に広がる世界は目を閉じた世界という意味で同じ道を辿っているとも言えるが)

追いかける男たち。
雑踏を歩く彼女を探しながら、物語の彼女へと移ること。
そうして追いかけ続けるのは物語の話だ、という彼女。
毱