シズヲ

アニー・ホールのシズヲのレビュー・感想・評価

アニー・ホール(1977年製作の映画)
4.1
ニューヨークを舞台に描かれる、コメディアンとクラブ歌手の出会いと破局。男女の結び付きとすれ違い、その果ての着地点。それまで率直なコメディ要素が色濃かったウディ・アレンの作風を発展させ、アカデミー賞においても4部門を受賞した代表的作品。ジャンル的にはロマンティック・コメディだけど、ウディ・アレンの如何にも三枚目な風体や“偏屈で神経質な漫談家”という人物像が独特の空気感を生み出す。後年発覚したアレンによる虐待疑惑を思うと、やたらと性的関心に溢れた主人公の挙動には色々と複雑な気持ちにもなるが……。

饒舌な掛け合い、長回しの会話劇。時系列を半ば無視して描かれる主役二人の恋愛模様。二人の馴れ初めや思い出、倦怠や破局が、アルバムの記憶のように振り返られていく。そんなロマンスの中ですんなりと挟み込まれるシュールな皮肉とユーモア。ウディ・アレンによる捻くれた演技・台詞回しの数々は、良くも悪くも本作の気風を形作っている。彼が演じるアルビー・シンガーの挙動や性格は鼻につく部分も多いので、好みが分かれるところではある。とはいえ対照的なダイアン・キートンとの掛け合いは何とも言えぬ味わいに満ちている。

登場人物の本音が字幕として漏れたり、画面が分割して別々のシーンが映し出されたりなど、以後の作品に影響を与えたであろう映像・編集の実験性も面白い。冒頭からカメラ目線で観客に語りかけたり、登場人物達が回想シーンに直接居合わせて見物する描写があったりといった一種のメタフィクション的演出にも楽しさがある。著名な学者の話題が出た直後にいきなり本人がヌッと登場した下りには笑った。こういった作風も相俟って、都会的なリアリズムと舞台劇めいた虚構性がシームレスに共存しているのが良い。シーンとして成立しているからこそ、現実と空想の垣根がすんなりと自然に破壊されていく。

三枚目なウディ・アレンとは対照的なダイアン・キートンの佇まいも実に魅力的で、彼女のマニッシュかつトラッドなファッションがとてもお洒落で印象深い。ジャケットをゆったりと着こなしたパンツルックのスタイルは、この時代において間違いなく鮮烈だったのだと思う。そんなダイアン・キートンとウディ・アレンのアンサンブルは、出で立ちの対照性も相俟って独特の味わいを作り出している。

そして本作がユーモアのみに留まらない魅力を持つのは、ニューヨークという大都市を背景にしたうえで情緒や感傷を見事に表現しているからだと思う。映画は終始に渡って男女の交際を見つめ続け、捻くれた笑いの感性の中で価値観や生活のすれ違いを黙々と描いていく。最後には主役二人の顛末を通じて“恋愛の非合理と葛藤”へと言及し、その意味を振り返ることで“人間の矛盾”を肯定するのである。それまでの二人の思い出がモンタージュ的に追憶されるラストシーン、何とも言えぬ余韻が滲み出ている。

ウディ・アレン演じる主人公に関しても、ユダヤ系であるが故のジョークやコンプレックスが随所で描写されるのが印象的。ニューヨークとカリフォルニアの風土の差異もそうだけど、多人種社会としての米国の風俗(+そこに生きる人々の自己認識)が垣間見えてくる。そんでシェリー・デュヴァルとかが脇役で出てきたりとか、若き日のクリストファー・ウォーケンやシガニー・ウィーバーなどがちょい役で出てきたりとか、思わぬ役者陣が出てくるのは何だか面白い。
シズヲ

シズヲ