作り手の言いたいことや見せたいものは分かるが、カルチャーギャップをウォシュレットに集約するのは乱暴過ぎる。
登場人物の成長の描かれ方も乱暴で、主人公のレイが欲しかったヴィンテージのプラモデルを買うのを諦めておばあちゃんの為にウォシュレットを買う事を成長として提示しているが、決断の過程や主人公にとってのプラモデルの位置付けが好き以上の何かであると言った事が語られないので弱い。妹のリサの抱えている問題が見えにくいので全体的に雰囲気映画になっていしまっている。
結局この映画の最大の問題は、言葉が通じない家族が居るにも関わらずカルチャーギャップが発生しない部分にある。結果もたいまさこが意地悪で英語が分からないフリをしているように見えてしまう。
確かにモーリーの再起という部分に関しては良い。しかしその後の展開を考えると、彼の世界にとってもたいまさこは異物でしか無いという事になってしまう。そうであればカルチャーギャップを扱った映画としても問題があるし、家族の成長を描いた物語としてもいまいちと言わざるをえない。
ただ北米を舞台に日本映画のテンポで撮影すると、不思議なバランスで本作でしか見れない空気感の映画に仕上がっている。