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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.0
 ステディカムの動きを好奇の目で見つめる人々の姿。やがてオープンカーに乗って現れた初老の男が、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブはどこにあるのかと呟く。太陽は燦燦と輝き、すっかり日に焼けた老人たちがアロハ姿で談笑する。40年代まで確かに現存したはずの「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は今はもうここにはない。カストロによるキューバ革命後のこの国はアメリカと国交を断絶し、社会主義国として手つかずの文化が残った。国交が回復した今もなお、路地裏を歩けばアメリカ産のヴィンテージ・カーをそこかしこに見つけることが出来る。1997年、アメリカのギタリストのライ・クーダーはこの地の伝説的なミュージシャンたちを捜索し、彼らと共に1枚のアルバムを作ろうと画策した。点と点を辿っての捜索は困難を極めたが、苦労の末ライ・クーダー率いる「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は1枚のアルバムを完成させた。それから2年後、たった1度きりのニューヨークでのライブを映画化しようということになり、ライ・クーダーは友人であるヴィム・ヴェンダースに監督を依頼した。ヴェンダースとライ・クーダーとは84年の『パリ、テキサス』 と97年の『エンド・オブ・バイオレンス』で2度コンビを組んでいた。

 結果としてヴェンダースへの監督依頼は吉と出た。『ニックス・ムービー/水上の稲妻』や『東京画』などドキュメンタリーに既に慣れ親しみ、ステディカムが1台あれば世界中どこへでも行き、撮るべき映画があると信じているフットワークの軽いヴェンダースの視点はキューバでも有効だった。CANやTHE KINKSなど主にROCKに一過言あるだろうヴェンダースには恐らく、ワールド・ミュージックの素養は欠けていただろうが、ニコラス・レイ、サミュエル・フラー、笠智衆、クルト・ボイス等々、彼は老人を撮ることに尋常ならざる情熱を傾けて来た。今作ではニューヨークで行われた奇跡のライブを主軸に、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーそれぞれの生い立ちをカメラの前で語ってもらうことを主眼に置いた。コンパイ・セグンド、イブライム・フェレール、ルベーン・ゴンサレス、エリアデス・オチョア、それぞれに大好きな場所で楽器を弾いてもらいながら、ライブでのアンサンブルと編集し繋いだ。『パリ、テキサス』ではかつてのアメリカへの憧憬を、『東京画』では小津安二郎の描いた松竹大船調の人々や風景をどこにも見つけることが出来なかったヴェンダースだったが、今作には夢のような40年代の光景や音楽がほとんど手つかずで残っていた。時代遅れのアメ車は路地裏を颯爽と走り、すっかり往時の人気を失っていたはずの演奏家たちの技量は少しも衰えていない。

 映画はクライマックスに老人たちの最初で最後のニューヨークの旅を持って来る。アメリカとの国交を断絶していた社会主義国から21世紀手前の大都市ニューヨークに初めて降り立った老人たちの胸に去来したものは何だったろうか?アムステルダム、リスボン、ニューヨーク、東京、テキサスでかつてヴェンダースがそうであったように、ニューヨークでの老人たちは訪問者=よそ者として振る舞う。ここではまるで宇宙人のようにジョン・ウェインの立て看板に恐れ戦き、マリリン・モンローの首振り人形を見て「これは誰だ?」などと驚いた表情を見せるのだ。乗り物で降り立った見知らぬ土地で、見慣れぬ風景に驚く姿には、確かにヴィム・ヴェンダースの署名が横たわる。当時今作を観た時はライ・クーダー以外の演奏家の名前も音も聴いたことがなかったから、とにかく驚いた。ウェイン・ショーターの『Native Dancer』でナシメントを発見し、パット・メセニーの『Letter from Home』でブラジル・アルゼンチン音楽にどっぷり浸かって以来の南米音楽への旅が、ここから始まったのだ。
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