「お前らの信じる神は何処にいる!」
遠藤周作原作『沈黙』
映画の中にはたびたび、畏れを知らぬ者に対して天に代わり裁きを下す断罪者が登場する。
『ダーティーハリー』のクリントイーストウッドや『狼よさらば』のチャールズブロンソン、最近だと『イコライザー』のデンゼルワシントンがそれだ。
そして、日本特撮界において一番その性質を持つ者こそ、この"大魔神"に他ならない。
特撮時代劇の代表作『大魔神』シリーズ第二弾。
監督は『座頭市物語』『子連れ狼』の三隅研次。
"戦国時代、平和な八雲の国は突如として悪の武将の弾正一派により滅ぼされる。八雲の民は湖に浮かぶ神の島の武神像に祈るが、弾正の兵は神の島をも攻め込み武神像を爆破。抵抗する残党を捕え手始めに領主の娘を火あぶりにしようとする。十字架に火がつけられ人々が絶望しかけたその時、娘の悲しみに応じるかのように破壊された武神像が湖を割り、怒りに燃えて現れるのだった"
プロットは他の『大魔神』とほぼ同じだが、違う箇所もあり、それがこの映画の最大の特徴となっている。
まず一つ目に大魔神の設定。
前作『大魔神』では災いをもたらす祟り神のような扱いだったが、本作では領民の守り神という立ち位置。
直接破壊されることのなかった武神像もこの物語では粉々に爆破され、クライマックスに湖の中から復活という形で再登場する。
二つ目。これは公式に説明されている訳ではないのだが、本作は十字架や武将の弾圧、『十戒』を意識した海を割るシーンなど、キリスト教、特に江戸時代のキリシタン弾圧を思わせるモチーフがとても多い。
実はこの『大魔神』シリーズが公開された1966年は、同じくキリシタン弾圧を描いた遠藤周作の小説『沈黙』が初出版された年であり、『沈黙』の最後で主人公ロドリゴが見い出す"共に苦しむ神"の描写は、一つ目の大魔神の特徴とかなり似ている。
また、日本特撮においても1966年はあの『ウルトラマン』が放映されるという重要な年だった。
異星の者にも関わらず人類に理解を示し、人々の為に巨大怪獣に立ち向かう光の巨人の姿は、正に怪獣界における正義のヒーロー。
でも光の巨人は時には人だけでなく、怪獣に対しても憐れみの心を表していく。
ある意味で怪獣とはマイノリティの象徴だ。
後に『パンズラビリンス』『シェイプオブウォーター』を手掛けるギレルモデルトロは、怪獣とは不完全な人々にとっての守護聖人であり、人々から攻撃を受け倒される怪獣と迫害を受け殉教する守護聖人が重なったと主張している。
(奇しくも『シェイプオブウォーター』で声なき人々の守護者となる半魚人と、領民の為に怒りに燃える大魔神との間には"水"という共通点がある)
それまで厄災をもたらす存在だった怪獣が、弱きを助け強きを挫く守護聖人となるに至るまで。
激動の60年代にもたらされた大きな変化は今もなお生き続いている。
この映画はカタルシスがすざましい。
(神も仏もいないのか?)と思いたくなるような時代だとしても、希望の光は必ずある。