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恐怖分子のnetfilmsのレビュー・感想・評価

恐怖分子(1986年製作の映画)
4.4
 朝焼けの見える早朝、けたたましいサイレンを鳴らしながら、パトカーがどこかへ向かう。部屋では一組のカップルがベッドの上にいるが、男は既に眠っており、女だけが小説を夢中になって読み進めている。男は時間差で目覚めると、トイレの鏡と向き合う。開け放たれたベランダでは朝の心地良い風と、徐々に近づいてくるサイレンの音と銃の発射音が不穏な空気を掻き立てる。人間だけでなく、様々な物質を据えたショットの断片が脈絡なく幾重にも連なり、ショットとショットが一連の不穏さを際立たせる。これが才気溢れる今作の導入部分である。次のシークエンスでは、いきなり男が道の真ん中に突っ伏して倒れている。そこにパトカーが到着するが、刑事はある若者の姿を見つけ、ジェスチャーで危ないから向こうに行けと指示を出す。先ほどの若い男は残念そうに渋々応じようとするが、次の瞬間、籠城した部屋から飛び降りた2人の姿を目撃する。どういうわけか警察は最初に飛び降りた女には気付いていない。若い男は警察そっちのけで、足を痛めながらも警察に見つからずに逃げ出した女に一心不乱にシャッターを向ける。

 警察から辛くも逃げ切ったハーフの女には父親がいない。母親は不良娘の顛末にため息をつき、病院から家に連れ戻し、The Plattersの『Smoke Get In Your Eyes』のレコードにゆっくりと針を落とす。だが娘はその歌詞の意味さえも掴めないまま、じっと下を見つめている。冒頭のパトカーのサイレンや発砲音、怯えた犬の咆哮、ガラスの割れる音などの一連の不快な音に対し、うっとりするようなドゥーワップの美しいハーモニーは明らかに対比され、然るべき場所に配置される。ベタ敷きになった音楽は、やがて冒頭の男女の決定的な不和の場面にも被さっていく。無人の殺風景な部屋、揺れるカーテン、外から聞こえて来るサイレン、ふいに鳴る電話、排水管から落下する水、これらの描写がホラー映画の下地として、恐怖を醸成していることは誰の目にも明らかである。しかし今作では幽霊の類も桁外れに巨漢な殺人鬼も遂に出て来ない。物語はホラー映画らしい雰囲気を醸し出しながら、やがて都市に住む孤独な人々を次々に結びつけていく。

 今作において、小説家の妻と医師の夫のカップルというのは最初からほとんど破綻した状態にある。夫婦の間にまともな会話はほとんどなく、お互い目を合わせることもない。夫も妻も相手に遠慮している。夫の会社は係長が心臓病で死に夫はようやく昇進し、重要なポストにつけるかもしれないと過度な期待をする。小説家の妻はスランプ状態に陥り、環境を変えなければ新しい小説が書けない。夫は妻のことを思い、妻のために生活しているつもりだが、妻にとっては夫の心遣いが心底煩わしい。この微妙な夫婦の温度差がやがて悲劇を生むことになる。2人の間には、かつて赤ちゃんを身籠るも流産した苦い思い出がある。妻が夫に涙ながらに夫婦生活の破綻を訴える場面は真に迫る。その後も夫は何とかして妻とヨリを戻そうと何度も接触を試みるが、その度に気のない返事をされる。妻に別れを切り出され、すんでのところまで行った昇進の夢が叶わなくとも、男にはそれでも生きねばならない人生があったはずだ。だが無機質な空間の中で突っ伏して倒れた男の最期の瞬間が無情にも胸に響く。
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