VFXが進歩した今、この映画を観ることは一種の古典勉強のようなものに思われるかもしれない。
かくいう僕も、影響力のある名作を観てみよう、っていう気持ちで観たクチだし。
でも、間違い。
この異質なSF映画には普遍の価値があり、テクノロジーの進退なんぞ全く関係がない。
むしろ、この時代特有の実写へのこだわりと意匠が随所に見て取れて面白い。
“作った人間”と“作られた人間”(あえてそう称したい)の対立を描いたディストピアSFだが、単なるいざこざや抗争に終始するのではなく、彼らを隔てるものはどこにあるかという哲学的なテーマを内包しているから、とても深遠で自問的なストーリーテリングとなっている。
“作られた人間たち”の生への執着、渇望に見られる生き生きとした言動は時として“作った人間”のそれを超え、鑑賞者はどちらがどちらなのかを錯覚する。
だからこそ、生きるとはどういうことか、何を重きに置いて生きるのかを示唆的に描いたディレクターズカット版は秀逸だと思うのである。
終始漂う雨の気配、気だるい雰囲気はハードボイルド。
古典的名作とされる本作だけど、SF映画としての異質さは変わらない。