キューブ

ブレードランナーのキューブのネタバレレビュー・内容・結末

ブレードランナー(1982年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

 ファイナル・カットが決定版となった今、多くの問題点が指摘されているオリジナル版だが、全体的な面白さは損なわれていない。ファイナル・カットのようにCGによる修正は施されていないが、80年代とは思えない斬新なヴィジュアルやヴァンゲリスによる最高のテーマ、生命の尊さを感じさせるテーマ性。どこを切り取っても最高にクールなのは変わらない。だがこのバージョンは少々切り取りすぎたらしい(その上いらない物までくっつけている)。
 まずこの映画のテーマは大きなもので2つある。一つは先ほども挙げた「生」そのものである。たった4年の寿命を延ばすために、6人のレプリカントが地球に潜入。なんとかしてタイレル社の社長に会おうとするも、ブレードランナーのデッカードが行く手を阻む。彼らは殺戮を犯すが、その理由は“生きたい”、それだけだ。人間とほぼ同じ、むしろ人間よりも優れている彼らはなぜ長生きすることを許されないのか。このテーマ性だけでも、いかに「ブレードランナー」が唯一無二のSF映画であるか分かるだろう。
 二つ目のテーマはこのバージョンではまったく加味されていないと言って良い。それは「人間とレプリカントの違いは何か」である。今回抽象的なシーンをカットすることによって、一連の意味を成していたはずの場面が断片的で無意味なものと化している。最たるものは“折り紙”であろう。デッカードと同じブレードランナーであるガフが時折作る折り紙。本来これが最後のシーンで重要な役割を果たすはずが、このバージョンではガフがデッカードの家を訪れたことを示唆するだけに留まっている。
 単純に視覚的に分かりにくくなったシーンも多い。例えばレプリカントのリーダー、ロイが自らの手に釘を刺すシーン。当時のアメリカは暴力描写に厳しかったせいで、走り回るデッカードのカットと交互に映っている。あまりに乱雑であるため一応は理解はできるものの、手に釘を刺すロイの心情がダイレクトに伝わってこない。
 そして最低最悪なのはハリソン・フォードによる呆けたナレーションとあの取ってつけたようなエンディングだ。
 フォードのナレーションはただ台詞を読んでるだけの棒読みそのもの。子供の絵本の朗読の方が数百倍マシだ。まあ序盤の自己紹介マシだが、最後にロイが死んだときのあのナレーションだけは許さない。
 初めてファイナル・カットを見たとき、あの場面でロイは私の心を完全に引きつけた。一見すると大仰しくなりがちな詩的な台詞を、ルドガー・ハウアーはカリスマ性のある演技で映画史に残る台詞に変えた。それなのにデッカードがぶつぶつと「俺は彼が死ぬのをただ見ているしかなかった」などとのたまうから、雰囲気ぶちこわし。加えて、あたかもハリソン・フォードが本格的に演技が下手かのように見える。誰の利益にもならない最悪の変更だ。
 これに比べるとまだ許容範囲だが、あのハッピーエンドも良くない。観客に媚を売るために追加されたらしいが、あんなに唐突では観客も納得するどころか余計に戸惑うだろう。その上、やっぱりハリソン・フォードのナレーション付きだ。
 別に「ブレードランナー」を批判している訳ではない。この映画は間違いなくSF映画の金字塔だ。しかしこの映画が好きだからこそ、このバージョンには腹が立つ。むしろリドリー・スコットが再編集の機会を与えられて、完璧なものに近づけることができたのを素直に喜ぶべきだろう。そう考えると紆余曲折の末に公開されたこのバージョンにも価値はある。
(13年2月6日 Blu-ray 3.5点)
キューブ

キューブ