Jeffrey

切腹のJeffreyのレビュー・感想・評価

切腹(1962年製作の映画)
5.0
‪「切腹」‬
‪冒頭、寛永七年五月十三日。兜の描写、江戸屋敷、庭先での切腹。竹光、浪人、介錯、脇差。安芸広島福島家元家臣、津雲半四郎が訪ねてくる。切腹の座、処置、襖、中庭、屋敷内の撮影、武満徹の音楽が完璧なまでな幕開け…本作は小林正樹の大傑作にして、日本映画史上最高の一本で、オールタイムベスト級の極上時代劇を再鑑賞したが凄い、凄すぎるにも程がある…もう素晴らし過ぎて堪らない。まず、小中高生に是非とも日本の古き作品を観て欲しい。時代劇だと、言ってる言葉が難しかったり、聞き取りにくいとか、歴史知識が無いから最初から諦めがち、一応観てもよく意味が分からなくて、そのままスルーしがちだが、本作は物語の基礎が分かれば十分に楽しめる。まず物語を更に単純にするべく敢えて登場人物の名前では無く、男、娘、恋人とする。舞台は一六三〇年、当時食うのに困る浪人(武士の事)が多くいて、裕福で権力がある家老に行っては切腹したいので庭を貸してくれと良心に訴える。そこに一人の若い男が現れ申し出るも、横行している為に情は効かず、逆にこの物乞に歯止めをかけるべく、志願通りに切腹させる。これを聞いた男は動揺し、一度家に帰えらせてくれと志願するも、断られ庭先で半ば無理矢理に腹切に追い込まれ、介錯(切腹した後に苦しみを和らげる為に首を切り落とす役目を持つ人のこと)する。物語は現在へ。(本作は主人公である男の回想とその男が生きる現在で進行して行く。その切腹した若い男は彼の回想に現る)とある老浪人の男が若い男が切腹した屋敷に切腹志願者として来る。だが実は彼は切腹して死んだ男に病弱の我が娘を妻に授けた男で、言わば育ての親であったのだ。息子同然に可愛がってた彼を自分の使い出により、死んだ事に絶望し、娘も、子も失い天涯孤独になった彼はその譜代大名と手下に復讐するのであった…まぁ確かに外国が言うように残酷な描写が有り、そこに批判もあった様だがそれが本作のテーマでもあるし、実際に江戸市中に貧困的な浪人による情けを企み調子こいて強請りをする者が多発していて、それを食い止める為の事柄だ。だが、入浴や衣服まで与えて喜ばせてからいざ切腹へ…と確かに同情する。十文字に搔っ捌かなきゃ介錯もしない始末と…厳しい厳しい。だが、この残酷美はこの時代の流儀で美学なのである。沢潟彦九郎役の丹波哲郎に斎藤勘解由役の三國連太郎に千々岩求女役の石濱朗が三人揃うシークエンスの緊迫感、白い布を被せた二畳の畳が血に染まる痛々しい描写…あっぱれ。にしても求女が一旦自宅に帰りたいと切望するも逃げの口実と断られ、切腹する気もなく腰には武士には欠かせない刀すら持参せず、竹光で腹切する…それを介錯を務める勘解由が敢えて竹光で切腹させる陰険で残酷な手を使ったのだ。求女は刀を売る程貧困で、一旦帰宅したかったのも妻子に会い、別れを言いたかったと思うと本当哀れで…言葉が見つからない。いや〜いつ観ても傑作具合が変わらず二度と作れない時代劇と毎回思わさられる。仲代達矢演じる半四郎が勘解由を介錯人について論破し、逆に身の上話を聞かなきゃ罪無き手下に歯向い死人も出るぞと逆に脅すくだりは最高だし、あの三國の悔しい表情が堪らない…からの求女の衝撃的な事実を話し始める。自分の娘の為に武士の魂である大小 (日本刀)迄を売り困窮を避け、赤子の病を治すべく薬代を譲りに行った先で死に、住まいに亡骸を運ばれ半四郎は自らの大小に縋る己に嘆くシーンは辛い…これは正しさを訴えて切腹する男の復讐劇である。最後の彦九郎と半四郎の戦いでの無数の墓を横切り、竹藪の小道を歩き、強風吹く中、靡く草の護持院ヶ原の決闘は最高の見所でとんでも無くカッコいい。八相の構えで戦う仲代と直立たる身の兵法に上段・中段の構えで戦う、異なる時代の形式が観ていて面白い。まぁ兎に角、殺陣が凄いし、ラスト飛道具に土壇場に仲代演じる半四郎がとる行動は壮大な死に場を観客に見せ付ける。それに一体全体何から音を採取しているのか武満徹の音楽が不気味で恐ろしくて悍ましくて興奮してしまう…正に芸術と娯楽を極めた最高傑作なのである。‬ ‪武士道、侍精神、正に悲劇美だ。最後に仲代、三國、丹波の芝居は凄まじく、心の底から凄い役者だなと思う。小林正樹の作品だと「人間の條件」「怪談」も好き。三島由紀夫の「憂国」に多大な影響を与えた映画でも有名だ。まだ未見の方は是非観て欲しい。大傑作だから…‬
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