フェリーニは、詐欺師だ。
実際に若い頃はそうだったらしいが、この映画を見ればそれは一目瞭然だ。
豪勢なセット、大勢のエキストラを贅沢に使って撮ってるにもかかわらず、起承転結あるストーリーらしいストーリーなんかありゃしないし、人々の行動に明解な理由もあったもんじゃない。ただ情景があるばかりだ。
これらを詐欺と呼ばずして何になろうか?
カーレースの場面なんかにしても、ドライバーの主観でライトに照らされたこちらを見守る人々を映した後、停止した車のドライバーが微笑むカットになるだけで、もしかしたら撮影のために車を走らせてなんかいないのかもしれない。これも詐欺といえるに違いない!船なんか、描き割りだしね。
しかし、その延々と続く情景を見て心を揺さぶられぬ者がいるだろうか。
雪のように舞う綿が春の到来を告げる冒頭。
息子を殺さんばかりに追いかける父、ヒステリックに喚く母により、一瞬にして修羅場と化す食卓。
教会の鐘の影で大音量で「インターナショナル」を流す蓄音機と、そこに向かって放たれるファシストたちの銃撃。
ついに海の彼方から姿を現す豪華客船に黄色い歓声を送る人々。
霧に包まれたグランドホテルで静かに踊る少年たち。
木の上に登ったまま「女がほしい!」といつまでも叫び続ける頭のおかしい叔父。
狭い煙草屋の中、豊満な女主人を滅茶苦茶にするも、童貞は棄てられない主人公。
雪の中に突如できた迷路でついに出会うことのない主人公と憧れの女性、そして羽を広げる孔雀...
強烈な色彩、脳裏に焼き付く光と影、画面に溢れる巨尻、ニーノ・ロータの旋律。
これらを映画と呼ばずして何になろうか?
フェリーニは、映画だ。