デニロ

危険な場所でのデニロのレビュー・感想・評価

危険な場所で(1951年製作の映画)
4.5
話の内容が二転三転して製作者や脚本家にも疎まれた呪われたフィルム、ということなのだが、そんな風には感じない。

足掛け9年単身赴任生活を続けた。職場に行けば沢山の人がいて、ルーティンの職務もあり、ざわざわと時間が経過していく。でも、職場を離れ家路につき、自室の鍵を開けるとそこには何もない孤独の場所だった。その感じは、ひとり山に入り自らの息遣いしか聞こえない静寂とはまた別のものだ。部屋で何をするでもなく過ごす時間というものはやり切れなかった。朝、目覚めて職場に向かうことが楽しみになるなど病気だったとしか思えない。きっと職場では、いや、確かに職場では陽気だった。背中合わせの孤独。アイダ・ルピノは言う/時には、いつも誰かといる人のほうが最も孤独だったりするのよ/

ロバート・ライアンの部屋はわたしの部屋だ。トロフィーと十字架。過去とは切り離され、いまや何もない孤独という毒が蔓延する。しかも彼の職場は荒れ果てた都会の一場だ。強盗、強姦魔、殺人者、そんな犯罪者と日々接していればどうなるか。同僚は彼を心配する。ちゃんと食え、遊びに来い。お前は息子の英雄だ。でも、彼らには家族がいた。

度の過ぎた捜査が上司の逆鱗に触れ、田舎の少女殺人事件の捜査の支援に向かわされる。そこで待っていたのは、娘を殺されて怒り狂いその犯人を探し出し自らの手で始末することに燃える父親ワード・ボンド。犯人らしき者をあぶりだし追い詰めていくと、とある一軒家にぶち当たる。とそこには盲目の女性アイダ・ルピノが住んでいた。物語の中心はアイダ・ルピノに移り、そして・・・。

ロバート・ライアンに家族はいたのだろうか。ワード・ボンドやアイダ・ルピノの家族を思う心情に触れ、ロバート・ライアンの表情、態度に変化が見えてくる。

ロバート・ライアンとアイダ・ルピノの道行きは、『望郷』ペペ・ル・モコの道行きの心象風景のようだ。ラスト。ふたりの思い。愛に理由などあるものか。

1951年製作。原作ジェラルド・バトラー。脚本A・I・ベゼリデス。監督ニコラス・レイ。

シネマヴェーラ渋谷 ウィスコンシン派 にて
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