うんと昔子供の頃、インディアンや駅馬車、騎兵隊が登場するような伝統的西部劇を観る前に自分が最初に触れた西部劇が、この『さすらいのカウボーイ』(1971)だった。
今日BSPで観るまですっかり忘れていたよ。
後にオスカーを獲ったイーストウッドの『許されざる者』やトミー・リー・ジョーンズの『ミッション・ワイルド』とか『ゴールデン・リバー』などに抱いた既視感はこれだった。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、自分の中の西部劇は、このさすらいのカウボーイが基本なんだなと思い知りました。
さて大人になってもう一度観たら、妻ハンナという存在、示唆するものに釘付けになった。
さすらいすぎて痩せ細った男達と大地に根を張った彼女の風貌の逞しさとの対比と、突然戻ってきた夫に対する反発と戸惑い。
生きるということホームに対する彼ら男女の違いが鮮明です。
台詞のひとつひとつに血が通い、ホモソーシャルの煮こごりみたいなジャンルである西部劇に登場する女性キャラでは最高峰だと思う。
長らく日本では演じたヴァーナ・ブルームが「ノーメイクで挑んだ」ばかり言われてたような気がする。
いや、なんでそればっかり(怒)
これがピーター・フォンダ監督作だということは、彼はとても繊細な人だったんだなと感じる。
イージーライダーの大ブレイクで時代の寵児のような扱いはさぞ重荷だったことだろう。