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理想の結婚のNMのレビュー・感想・評価

理想の結婚(1999年製作の映画)
4.0
ロンドン、1895年。
サー・ロバート・チルターン議員は若くして躍進中。

その日、自宅での盛大なパーティーで、ローラ・チーヴリーに声を掛けられる。
ローラはウィーンの上流階級の顔で、名士との付き合いも広い。現在は長くウィーンで暮らしているが、数日の間ロンドンに滞在するという。

ローラはロバートに、あなたの過去を知っている、私の利益になるよう議会に働きかけてほしいと、ゆする。
「いつかは過去の代価を払うときが来るのよ」
「金ならいくらでも出す……」
「過去を買えるほどのお金はないわ 誰にもね」

冷静で狡猾、どんな時も笑顔を崩さない彼女は、
今までもそうやってその地位を築いたのではと想像させる。
ロックオンするように相手を見つめ、まばたきが少ないのが怖さを増す。

ロバート議員は、まだ閣僚秘書をしていた時、有力者に情報を漏洩し、自らも利益を得、それを元手に議会に入ることができた。

前途洋々で、周囲に持ち上げられ、過去の不正を忘れてしまい、まるで自分が本当の紳士であると
おごっていたことは、ローラとの会話から分かる。

元々資金豊かな家柄ではなかったようで、いまでも野心があると語る。
僕から妻にはとても話せない、君ちょっと話してみてくれないか、と友人アーサー卿に頼むのも、やや不誠実だ。そんなことを言っているから、最悪の形で知られることになる。
ローラは、ロバート議員が肩書きを捨てるはずないと
見透かしている。

ロバート議員の妻は、ローラの昔の学友だったガートルード。優等生で、純粋、模範的女性との評判が高い。
ガートルードは、夫を清廉潔白で理想的だと完全に信じ切っている。これでは、ロバートがこの妻にはとても相談できないのがよく分かる。
実は彼女自身も、内心、自分は清く正しい人間であるというおごりがあるようだ。

ローラとガートルードは真反対の性格。会話からして、以前も何かトラブルがあった様子。原作では、ローラは悪事がバレて放校になっている。
ガートルードはローラと縁を切り、夫からも遠ざけようとする。しかし、ロバートの不正は事実なので、今更遠ざけようとしたところで仕方ない。

ローラの「好きに道徳を振りかざして。道徳を持ち出すのは相手を嫌っているからよ。」というセリフには、お前が言うなとは思うが一理あるとも思った。

確かに嫌いな人について自分の都合の良い倫理観をこねくり回して相手の過失を結論づけることは覚えがあるし、歴史上自国の正義と敵国の不正を訴えて始めた戦争は多い。
この場合は、そもそもローラの素行が悪いから嫌われたのだから、当てはまるとは思わないが。

衣装、セットも素晴らしい。
淑女たちのドレス、ガートルード家のテーブルに乗った、二人だけなのに何やらいくつもあるティーセット、2ホールも置いてあるイギリスらしい焼き菓子、人がすっぽり入れるほど巨大な中国磁器の壺がいくつも並ぶ。アーサー家も同じく、東洋趣味な調度品や植物を置いている。植物もアジアンテイストの竹やシュロ、シダ、ススキのようなものが多く、それが英国伝統の家具とも調和している。
スエズ運河の開発によってインドとの航路が開けたとの会話が、冒頭であった。パーティーにインド大使も来ていた。オリエンタルな家具やアクセサリーなどは当時の流行だったのだろう。

後半はめまぐるしく展開する、はちゃめちゃのコメディ状態。
といっても大げさな演出は一切なく、勘違い、タッチの差でのすれ違い、絶妙な空気など、英国らしい描写でおかしみを生む。
にこにこしながら空気を読み合うのは、日本とも共通するものがあるかもしれない。

冒頭から大ピンチなロバート議員と、資産家のアーサー・ゴーリング卿は対照的で、アーサー卿はいつも適当な態度。

独身貴族であるアーサー卿の家は、行き場をなくした人が集まりやすい場所となってしまい、全員集合する事態に。
ガートルードには以前、困ったことがあったら僕のところへ、と言ってあったことがあった。
そして、追い返される者、飛び出していく者、最後までねばる者。

みんながそれぞれ勘違いしていて、聞く耳を持たないので一向に解決しない。アーサーだけは辟易としつつ、もう今日は早く寝よう!と楽観的。
早く寝なさい、は前半にも話題となったセリフ。

ロバートの妹メイベルが後半で言う「”見る”のと”見える”のとでは大違いなのよ」というセリフは、それまでどうもパッとしなかった彼女の意外さもあって、印象的。
この物語の本質でもある。

いつもいい加減なアーサー卿の「彼を追い詰めるな 完全でない人間こそ愛が必要なんだ」というセリフも意外。
彼が独身でいたのも、「愛というのは与えるものだ 僕には愛を与えるほどの力はない」と語った通り、自分をよく分かっていたから無責任な行動を取らないでいた、とも言える。
友人のロバートの相談に乗り、彼をかばい、良いところを知っていて、尊敬し、ローラが持ちかける賭けにも自分の身をかける。

ガートルードもロバートもメイベルも、自分の気持ちを素直に伝えなかったこと、そして耳を傾けなかったことが、事態を余計にややこしくした。
相手を疑ったり、自分を装ったり、相手を理想化しすぎたり、許せなかったり。

アーサー卿は、友を信じ、ガートルードもかばい、自分の過去について何の言い訳もしないという、軽薄に見えたが実は一番の紳士だったと思う。
パッと見ではなく、中身を見極めるには時間がかかることがこれをもってしても証明される。

ロバート議員は、中盤で、大決断をしたと思いきや、何だかその後もうだうだとし、真の部分はやはり自己本位なのでは、と感じた。

最後の最後、もう一騒動も二騒動も起きて、全員がみんな嘘を吐き出すことと、それをゆるすことを求められる。

誰しも完全でないこと、誰しも愛とゆるしが必要であることを考えさせる、見事なラストだった。
一件を通して、みな自らの殻をやぶり、大きく成長。
こじれにこじれた結果、ついに大団円となりすっきりする。

ワイルド原作だけあって、社交界の傾向、けん制やいさかいなど、トラブルが実に豊かに描かれている。
会話のウィットも巧みで、名言も溢れている。
強いて言えばワイルド自身を最も投影したのは、
ナルシストで皮肉屋のアーサー卿だと感じた。

戯曲を観て、お互いオペラグラスで覗き合うシーン。
幕が降りると、拍手と、「ワイルドー!」とのコールに、少しの間男性が出てきて喝采を浴び、
それがワイルドの戯曲だったことが分かる。
出演女性が男性に「グエンドレン」と呼びかけているので、『真面目が肝心』の上演ではないだろうか。
このようなシーンは原作では見あたらないので、
映画化にあたって入れ込んだ洒落だろう。

いつも小言を言いにくるアーサー卿のお父さん、反対にいつも優しくアーサーの言うことを肯定してくれるお付きのフィップスが、いい味を出していて、一貫した態度が作品を安定させている。

ルパート・エヴェレットが『アナザー・カントリー』のガイであることに後日ふと気付いた。
個性ある俳優で、しかも主演なのに、全然気付かなかった。それは俳優としてとても素晴らしいことだと思う。
この人また出てる、とか、何に出ても同じような演技だ、とは言われない俳優だ。
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