詩学以来幾度となく試みられてきた「偶然を組織する」ドラマツルギーの最先端を見た気がする。
体操をする時に鳴る小銭の音、神輿を担ぐ時の靴と時計が、宮前平で生活する人たちにとって山内和彦、そして選挙それ自体がどこまでもストレンジャーでしかないということを示してしまっている。
勿論、いくら観察映画といっても編集者の主観・主張は混じりこんでしまうだろうけれど、物語→映像ではなく映像→物語の順序でドラマが組み立てられているならば、それは完全に独我的なドラマではあり得ないし、筋書きありきのフィクション、ドキュメンタリーとは差別化されて然るべき。
山内和彦という一人間の立候補からその帰結までという十分に面白い内実をもった物語があって、でも一方では幼稚園児を前にしての応援演説、名前の連呼等、内実の無意味さがどこまでも通底している、、。
勿論自民党支援映画ではないし、イデオロギーに関係なくむしろリベラルな人にこそ観てほしい、エンターテイメント。