ふたーば

アラバマ物語のふたーばのネタバレレビュー・内容・結末

アラバマ物語(1962年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

この映画は自分にとって、なんとなく後回しにしてしまう映画だった。

理由はいくつかある。まずタイトルが悪い。なんかすごくダサい。いや、原題の直訳だと、修辞的な言い回しなので伝わりにくいというのは分かる。それに「殺す」なんて物騒な言葉から社会派の映画を期待するのは難しかろう。しかし「地名+物語」って……いくらなんでもなんとかならなかったんだろうか……

そして内容である。「黒人差別もの」「冤罪」「傑作」。本作の評価について、必ずセットで語られるキーワードだ。これでも差別映画もそれなりに見てきたつもりなので、この時点で大体、見なくてもどういう内容か想像がついてしまう。きっと法廷劇で、陰鬱で、差別の理不尽さへの憎悪を募らせるようにできている感じなんだろうな、といった具合に。

だが私は甘かった。このダサいタイトルからは想像もつかないほど豊かな演出、台詞、ストーリー展開、そして何より最高なのがその語り口である。この映画は語り口がすごい!なんで誰もそこを教えてくれなかったの!!

この映画、主演男優賞を取ったのはあのグレゴリー・ペックなのだけど、主人公は彼ではないと思う。主人公は彼の2人の子ども(特に妹の方)である。彼女らが南部の住宅街の一角のごくごく小さな一角で遊ぶぶうちに、社会に潜む理不尽に出会っていくという構成なのだ。

こう書くとまだ全然堅く見えるかもしれない。でも見せ方がも~~めっちゃうまいのである。パッと見低学年向けの児童文学みたいで、ほんのちょっとした冒険ごっこをしているかのような描写が多い。しかし、そこから差別や暴力の理不尽さが見えてしまい、だんだん戸惑いや無力感を感じるようになる。こうして見せることで、「冒険もの」として前に引っ張る力を保ちつつ、「子どもの目から見てもこれはおかしいって分かるんじゃないの?」と差別に対して見る側も疑問を抱けるようにできている。天才かよ。

またもう一つすごいなと思ったのは、事件の見せ方だ。この映画には子どものいない場面はほとんどない。それは裏を返せば、大人だけで動いている本筋の事件や裁判、それに弁護活動の様子は、前半ではほとんど断片的にしか描かれないということである。大人はこの映画の中では常に「他者」なのである。それでも大人同士の会話や大人と子どものやり取りの中から漏れ聞こえてくる情報から、子どもが素朴な疑問をぶつけることがある。そしてその説明役を、弁護士の父親であるグレゴリー・ペックが引き受けることになる。

この何度も出てくる「説明」の場面がズシンとした重みを持つ。一体なぜこんな理不尽がまかり通っているのか、なぜ貧富の差があるのか、なぜ黒人の弁護をすることがリスクになってしまうのか。こんなこと、6歳の子どもに誰が説明できるだろうか。

父親のアティカスは誰がどう見ても最高にかっこいい、正義の人なのだけど、笑顔を見せる場面はほとんどない。代わりに、社会の理不尽と闘わねばならないこと、そしてなぜ理不尽が存在してしまうのか、その説明を子どもにせねばならないこと。こういった重圧から、いつも押しつぶされそうな顔をしている。それでも決して逃げたりごまかしたりせず、一人の人間として子どもに語りかける。それがすごく胸を打つ。正義が歪められる理由のすべてを説明することはできないかもしれないけど、そこにプライドと信念を持って当たる大人の姿が見れるのは本当に素晴らしいと思える。

物語のラストはちょっとだけ勧善懲悪というか、予定調和的な終わり方をしてしまってやや残念ではあった。それに黒人差別ものでありながら、黒人の台詞が少なく、しかも黒人は最後まで救われない目に遭ってるのに「なんかいい話風」な終わり方をするところは、ほんの少しだけ「白人の物語」という印象も受けないではない。

だけど、この切り口から社会の過酷な一面を見せる点、そして人物の存在感、台詞の重み、どこをとっても最高の一作だったと思う。つくづく名作は見るまで侮っちゃだめですね……

大人がずっと「他者」で子どもの目を通して物語を進めるというと、真っ先にスピルバーグが思い浮かぶのだけど、やっぱりあの人はこの映画に影響を受けたのだろうか……それともさらなる元ネタがあるのかな。

あと、お兄ちゃんは物語の後も銃を欲しがったのかな。その辺、原作がどうなってるのか気になったな。
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