R

太陽はひとりぼっちのRのレビュー・感想・評価

太陽はひとりぼっち(1962年製作の映画)
5.0
オープニングめちゃめちゃ好き! Minaという人のサイコーにかっこいいノリノリな曲が流れて、おお!イイ!と思ってると、すーっとその曲が消えてこわーいこわーいホラーな曲が流れ始める。このコントラストがその後展開するストーリーのトーンを決定づける。全編まったくすばらしいのだが、最初と最後の20分くらいは良すぎ。あるマンションの一室で、主人公のヴィットリアが、フィアンセがそこにいるのに、全く無言で部屋の中を行ったり来たりする。彼らの動きと部屋の小物の配置などだけで、2人の間に埋めようのない溝があり、刻々と破局に向かっていることを瞬時にわからせる。カーテンの向こうに広がる景色は、彼らが生きる世界の違和感そのものの。あまりにも雄弁な画像設計に目を見張らざるを得ない。モニカビッティの美貌も凄まじく、どこにも視点が定まらない、虚ろな眼差しに鳥肌が立つ。破局後は、何をやっても一瞬の高揚感のあとすぐ無感動へ逆戻りしてしまうヴィットリアの様子や、人間が生きる現実世界がいかに脆いものであるかが、明確なストーリーの流れなしで、徒然と描かれていく。1800年代を生きたデンマークの哲学者キルケゴールが著書『現代の批判』に、現代人の顕著な特徴として、「束の間の感激にぱっと燃えあがっても、やがて小賢しく無感動の状態におさまってしまう」と書いたとおりの様子。そういった現象のひとつとして、イケメンブローカーのピエロとヴィットリアの恋が展開する。ピエロを演じるのが圧倒的な美貌を振り回すアランドロン。ピエロにまつわる株大暴落エピソードは、まさに資本主義・物質主義社会の喧騒と行き詰りと絶望の象徴と言えるし、またふたりの恋の末路や人々の感情の動きの象徴にも見える。閑散とした郊外の異様な景色のなか、漠たる虚無感に襲われるヴィットリアを見てると、自分不在、という言葉が心に浮かび上がってくる。登場人物全員が、明らかに自分が何者なのかわかっていない。自分の行動や心の動きの根本に目を向けず、ただその場その場の状況に対応するだけ。まるで操り人形のように見えるのだ。本当は自分が何を求めているのか、望んでいるのか、わからない。何のために、その行動をとっているのか、わからない。そもそも何のために生きているのか、分からない。そんな人間が、心の底から湧き上がる、消すことのできない無上の喜びみたいなものを味わうことなど、到底できるはずがない。それをまざまざと容赦なく映し出していく怖さ。それが本作の最大の魅力だと思う。ちなみに、この映画とは関係な(くはな)いが、人間の生とは、死をどうとらえるかによって、その大枠が決定される、ということを言っている哲学者もいる。それを考えるに、彼らは死という人生最大のイベントから目をそらすことで、生からも目をそらしていると考えられるし、科学の唯物的人間観や核兵器の脅威などによる死の無意味化から、生の無意味化が起こっているのではないか、とも考えられる。実存主義者たちが、人生を実存として生きよ!と語った熱さとは真逆の、砂漠のように荒涼とした生を生きる現代人の消極的虚無を、見事に描ききった異色作だと思います。最後のシーンはマジすごいです。何でこんなことになってしまったのヒューマン! そして時だけが無情に流れる。これはアントニオーニの最高傑作のひとつではないでしょうか。ちなみに、勅使河原宏監督の砂の女と対で見ると、さらに現代という時代の本質が深く見えてくるんじゃないかと思うのでオススメ!
R

R