太陽はひとりぼっちの作品情報・感想・評価 - 3ページ目

「太陽はひとりぼっち」に投稿された感想・評価

なにこの不穏すぎる感じ、、、
アランドロンが1つずつ受話器を戻すとなり始めるベルが警鐘みたいで不気味!
モニカヴィッティは醤油顔美女で、この作品見て好きになった!!!
はかない平和

BSで放送されていたアラン・ドロン特集もこれで、おしまい。
評価のいい作品を選出していたのか、たまたまなのか、どの作品も面白かったです。どれが好きと聞かれと困るぐらい、いい作品ばかりでした。
それでも、あえて選ぶとしたら「冒険者たち」と言いたいところですが、一番印象に残ったのは「暗黒街のふたり」です。

そんな最後の作品に、苦手な恋愛映画が・・・。
あちゃ~、これは全然楽しさがわからないぞ。と思ってたらラストでやられました。このラストすごい不気味。

恋愛映画なんですが、ベタベタな恋愛映画ではありません。
お互い、確かに愛し合ってるんですが、どこか冷めたところがある。
アラン・ドロンは、彼女の事を愛している。
対する彼女はというと、それが伝わってこない。
愛し合ってる最中、彼女の表情は冷めている。
それまで楽しく会話してたのに、急に冷めた表情になる。
こんなん見せられたら人間不信になりますよ。人間、怖い!。

そして、ラスト10分。
めちゃくちゃ不気味で怖い。
約10分間、セリフが一切なく、不気味な音楽が鳴り響き、人が誰もいない街中や、無表情な人々が次々映しだされていく。
新聞には、はかない平和という見出し。
今の平和は束の間の平和。やがてくる終末を暗示している。
それは核開発競争が進み、核戦争の危機がせまっているから。

そう考えると、彼女が冷めていたのは絶望からだったのだろうか。

このラストが「ウルトラQ」みたいで面白い。

NHK BSプレミアム プレミアムシネマ
まこと

まことの感想・評価

3.4
"無機質な愛"

鑑賞後の印象はまさにこんな感じ


二人は互いに愛し合ってるし熱情もあるんだけれど、でも冷めようと思えばいつでも冷めることもできてしまう

随所に顔を出すフランス映画特有のアンニュイさや侘しさにモノクロ画面が手伝って、そういった青息吐息な印象に落ち着いてしまう


パリッと決まった精悍なビジネスマンのアラン・ドロンはカッコいいんですけどね
人非人

人非人の感想・評価

3.0
この手の、郊外の人気のない都市開発地区を撮るジャンル映画をもっと開拓したい。
お金と欲望にまみれた人間が集まる場で忙しく働き回るピエロ。そして婚約者と別れ、いつも虚無感を漂わせて無表情なヴィットーリア。
二人は惹かれあっているのですが、本当に心が通っているようには見えませんでした。言い換えれば愛が形骸化しているというか……
ラスト、人通り少なく静止したような街の風景が、終末を感じさせました。
okimee

okimeeの感想・評価

3.3
2018年、199本目。

ケニアいきたい。。
「渡ったらキスする」かっこよすぎか!

クールなふたりのいちゃいちゃシーン、冷静になってしまった。
イチャイチャ後に別れたふたりのそれぞれの表情、悲しくてかっこ良い。

最後の不気味さ・怖さ。虚構のような街。
「核開発競争」
「儚い平和」
紙面におどるヘッドライン。

道行く人々が浮かべる不安げな表情。

静かに流れる不協和音。

主人公たちだけがいない風景。

そして画面いっぱいに映し出される「歪んだ光」。


「まさかここで終わったりして…」と思った刹那、 ホントに"FINE"の文字が出てきて驚いた。

まるで金城哲夫氏の脚本によるウルトラシリーズの一編のような、 あるいはスタンリー・クレイマー監督の「渚にて」のような、 ちょっとコワい幕切れですね。

この映画が公開された1962年、 米ソ両陣営の対立はピークに達し、 同年10月には「キューバ危機」が勃発。
(これ、 気になってWikiで確認しました。)

きっと「核戦争」「第三次世界大戦」という悪夢が、 ものすごくリアルに感じられた時代なんだろな。

日ごろいかにもアメリカンな(またはコリアンな) アクション映画やホラー映画ばかり貪ってる私にとって、 この作品のヨーロピアンな話運びには少々ツラいものがあったけど、 アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティの魅力に惹きつけられて最後まで一気に観てしまいました。

ふらりと立ち寄った名画座で、 なんの予備知識もなくこういう作品に出会えたら素敵だろうな。

ただし同時上映は痛快な「ボルサリーノ」で!(笑)

2018ー112
見終わった後、何とも言えない虚無感が漂った。空しいとは違うが、満ち足りたとは言えない。だが、いくつかの鮮烈なシーンが脳裏に焼き付いている。

通りすがりの若い男を見つめては、「美男子だわ」と何気なくA.ドロンに言うM.ビッティ。

そしてA.ドロンが聞く。「婚約者とは分かり合えた?」「愛していれば理解できる。理解する(分かり合える)必要も無いわ。」「僕らは、うまくいく?」「分からない。」「君は分からないと言うが、どうして僕といる?」「まったく愛さないか、もっと愛があれば。。。」

最後の場面で、「明日も会おう」「いいわ。今夜8時。」「いつものところ?」「いいわ。じゃあ帰る。」しかし、外に出たM.ビッティの顔は無表情に近い。満ち足りた表情とは程遠いのだ。

A.ドロンは証券会社で働く有能なディーラー。多くの客と一日中休み無く働く。二枚目で、女友達にも不自由しない。しかし、満たされない自分がそこにいる。一方、若く魅力的なM.ビッティは何をやっても空しい。別れた婚約者との間が払拭されていないのか。それとも彼女の生い立ちや肉親との関係がそうさせているのか定かではない。そんな二人が付き合いはじめた。

モノクロームで、無機質な建物、街そして空。一方では雑踏でにぎわう証券取引所、金を目当てに集まる人、人、人。この2つが奇妙に融合して二人の気持ちを代弁する。ここに監督M.アントニオーニの真骨頂があると思った。

彼は、M.ビッティを通して、愛の不毛、陰りを語らせたのではないか。

M.ビッティは亡きフランスのJ.モローを髣髴(ほうふつ)とさせる。アントニオーニはA.ドロンというより、心はM.ビッティにあると感じた。
アントニオーニは欲望くらいしか観たことがなかったので(難解だと言われているし)わかるかしら?と。

うっわ〜、アラン・ドロンの完璧なまでの美貌と、モニカ・ヴィッティの捉えどころない妖精よのうな…いや、なんといいますかその美しさの陰に時折見せる情婦のような表情に目が釘付け。

こんな美しい二人を据えたのは、おそらくね、アントニオーニ故意にやったのよね、絶対。

時は流れる、目には見える形ですぐにはそれは訪れない、しかし、同じような毎日、日々の習慣、同じような街角、歩く人たち…

実は同じようで、全く同じ日は二度と来ない。

主役の美貌の二人でさえ、、いつかは衰え、この世からなくなる(お二人とも幸いご健在ですが)

そんな時の流れを瞬間的に切り取りたかったのね。欲望を見た時も、アントニオーニは時や瞬間を意識した人ではないかと感じましたが、この作品を見て自分は確信しました。

もういくつか見てみようかな、アントニオーニ。
sato

satoの感想・評価

3.0
アランドロンの太陽つながりで鑑賞。
モノクロのフランスイタリアの映画。
こーゆーのをアンニュイな。。
と言うのでしょうか。
アンニュイに見せかけて実はかなりのメッセージ性のある作品なのか?
私には理解ができなかったけど。

愛の不毛3部作の一つ。
他の作品を観ていないので
観てからレビュー書き直そうかな。