パレルモ・シューティングの作品情報・感想・評価 - 4ページ目

「パレルモ・シューティング」に投稿された感想・評価

LEONkei

LEONkeiの感想・評価

3.3
物事には必ず〝最後〟がある。
それが〝最後〟だったとは大概は気づかない…それが人であったり物であったり…その時は再び訪れるつもりでも、2度と訪れることのない場所であったり…
自分にとっての〝最後〟も数え切れないほどあるだろう(u_u)

一方、死神にとって『誕生』したとき人々はあれほどまでに祝福するのに、『死』の事になると悲しんだりするのが納得いかないらしい…考え方によっては『生』も『死』も1つの世界に入ってきて、再び出口から出たらまた別の世界へ入っていく…だけのことなのに。

美しいパレルモの味わいある街並みが印象的。
芸術ってやつがやっと分かったよ。
芸術は感情の叫びなんだなぁ。

これほど学ぶことのできた映画はなかった。ストーリーで観ればここの評価になるのかもしれないが、自分に強く結びつく芸術に出会えたこと、その導きに感謝したい。

こんな内容もない感想を読んでくれた人がいるかもしれないからミスリードにならないように書いておくけど、これは芸術を扱ったものではなく、パレルモの映画です。
その点に気付ければこの低評価はありえない。

監督は本質を突くことを意識していない。
SatoEmiko

SatoEmikoの感想・評価

3.3
真実を写すこと、描くことについての映像の映像。
デジタルに魂を売って、写真に修正に修正を重ね事実を曲げる写真家の主人公。"死神"に追われる彼が出会うのは、絵画の修復家の女性。
アナログの写真、デジタルの写真、CG映像に、絵画…様々に照らされる死生観と世界観はよかったのだけど、言葉を重ねるほど安っぽくなってしまっている気がして残念。静かなほうが、もっと世界観にのめり込めた気がする。
『皆、撃たれて死んでも血が出ない。この矢にはまるで実体がない』―『そうね、これは15世紀の絵画よ、画家はパレルモの出身、名前は不明だけど隅に自画像が』―『筆を持っている男か? イカしている、カメラ目線だな』―『私たちを見ているの …』

パレルモはシチリア島のティレニア海に面した港町です。「死の勝利」はパレルモのシチリア州立美術館(アバテッリス宮殿)で見ることができます。スクラーファニ宮殿の壁面から剥がしたフレスコ画を4枚のパネル装にして展示しています。フラヴィアという女性の象徴であり、インスピレーションのもととなった絵画、アントネッロ・メッシーナの「受胎告知のマリア」もここにあります。
ヴェンダースのインスピレーションの源は、「都市」の文化、歴史、人々を抜きにして語ることはできません。それは単に影響というものにとどまらず、彼の映画製作と深く結びついているからではないでしょうか。<ロード・ムービー>の集大成といわれる「さすらい(1976)」から「パリ、テキサス(1984)」において新しい境地を啓いたその後の作品は、あえて名づけるとするならば<シュタット(都市)・ムービー>と呼びたくなるような都市の映像世界を創りあげていきます。「パレルモ・シューティング(Palermo Shooting)」は,その物語の舞台にしても、また台詞や登場人物の造形にしても、次なる世界への出発となる作品に思えます。これからのヴェンダースが楽しみです。
≪シュタット・ムービー≫にはそれぞれおなじみの登場人物があらわれます。「ベルリン天使の詩(1987)」ではピーター・フォーク、「リスボン物語(1995)」ではマノエル・オリヴェイラ、そして「パレルモ・シューティング(2008)」ではミラ・ジョヴォヴィッチ。
≪象徴≫:都市と物語を象徴する人物が登場するのも<シュタット・ムービー>の特徴です。天使 ― 詩人フェルナンド・ペソア ― 死神フランク。
≪聖母マリア≫:空中ブランコ乗りのマリオン ― テレーザ・サルゲイロ ― フラヴィア。
≪音楽≫:クライム・ザ・シティ・ソリューション ― マドレデウス ― トーテン・ホーセン/ファブリツィオ・デ・アントレ/イルミン・シュミット。
≪愛≫:都市と歴史 ― 映画 ― 写真。
≪主題≫:デュセルドルフとパレルモ/写真と絵画/加工と修復/デジタルとアナログ/都市の生と死/人の生と死/光と影/画家の眼とカメラマンの眼。
≪主人公≫:そして主人公は「道に迷った男(カメラマン)」とカメラ目線の画家。

死神の放つ矢には実体がありません。しかし実体のない矢はライカを射抜き、穴をあけます。それは画家によるカメラマンへの挑戦なのか、あるいは警告なのかもしれません。
『画家は…対象との自然な距離を観察する…カメラマンは事象の組織構造に深く侵入してゆく … 画家によるイメージが全体的なものであるのに対し、カメラマンのイメージは、ばらばらな寸断(あるいは加工)されたものであり、その諸部分は、のちに、ある新しい法則にしたがって集められる』ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」
KAIMAR

KAIMARの感想・評価

3.5
ウ゛ィム・ベンダース監督。

売れっ子カメラマンが、ある日 パレルモに導かれる様に出かけた先で出会った死神と美女。


生と死をテーマにしつつ、少し難しさがあるかな~

死に神は、デニス・ホッパー、他にミラ・ジョボビッチ等も出演。星3.7
俺にはちょっと難しかったなぁ~

生を感じるには死を感じる必要があり
死を感じるには~

難しかったなぁ
売れっ子カメラマンがあてもなくさまよって、自分の死と対面するというロードムービー。
難しいですね。うーん。難しい。

ヴェンダースの映画は人に伝えようとすればするほど、分からなくなる。
何が魅力なのか。何に自分が惹かれているのか。

ヴェンダースの映画と向き合うこと自体がロードムービーなのかもしれない。

一つ僕が考えるのは、ヴェンダースが描く映画の主人公はほとんどが孤独で、どこか社会から取り残されているような人物、アウトサイダーみたいなのが多い。

そしてどの映画でも主人公は、自分が誰なのか、何を求めているのか分からず旅に出る。
往復の切符なんか持たない、片道切符だけ持って旅立つ。

アウトサイダー的な主人公が、いつの間にか誰かを、世界を、社会を救って最後はみんなのヒーローになってハッピーエンドな映画はいくらでもあると思う。

でも、ヴェンダースの映画ではそれはない。
そもそもヒーローなんか出てこないし、ヒーローが答えを見つけ出してくれることも、主人公が答えを見つけることもない?
あるかもしれないがヴェンダースはそれを描かない。

ヒーローがいないから、旅は終わらないのだろうか?

映画の主人公はさまよっている。
自分と他人、自分と社会、その中での役割はとは?

パレルモシューティングでは、自分の生と死。にさまよっている。

主人公は社会的には地位と名誉がある、売れっ子カメラマン。
でも、そこから何の安息を得ることも出来ず、不眠症で死の夢を見ては目覚めてしまう。

やがて、彼は死神を見るようになる。
その死神役がデニスホッパーで、デニスホッパーの演技には圧倒された。

そして、撮影中に見かけた’パレルモ’という地名に何かを感じ、パレルモに赴く。

そこからは・・・・・・

結果なんか分からない、ただ何かを、新しい世界を見つけ出すために主人公は旅に出る。

ヴェンダースの映画に魅了されるのは、自分にも、他の誰にも分からない、人それぞれの人生の結論が見えないのと同じようなものを感じるからだろうと思う。

ヴェンダースの映画には、結論がない。
映画のその先と、その先にある終わりは観る者に委ねられる。

パレルモシューティングもとても印象的なセリフで終わった。


「You」


その一言だった。
そこから何を思うかは、人それぞれ。


その後、ベスギボンスのひざまずきたくなるほど、美しい曲が流れてた。
劇中はニックケイヴ、ヴェルヴェットアンダーグラウンド、ポーチスヘッドとかが爆音で流れるので、サントラ欲しいな♪
momopipi2

momopipi2の感想・評価

3.0
監督の本音(生と死に関する、もっと言うと‘‘映画の生と死”に関する)が込められてるとは思う。けど…

ヘルツォークなら‘‘意思の強さ”という抽象的概念を船が山を登るという圧倒的な具体的事象で有無を言わせず宣言する。
けど、ヴェンダース(少なくともこの映画での)は、全部説明とゆーか、なんとゆーか…

例えば、序盤の妊婦を撮影するシーン。2人の会話と相手が妊婦(‘‘生”を宿している)ってゆー設定からして、主人公が死に囚われていることぐらい分かるよーになってるのに、その後わざわざ主人公に独白で「死にたい」なんて言わす…
とか、パレルモの意味が‘‘全ての港”ってゆーあからさまな隠喩にも関わらず、その後羊番に死についてのセリフを言わす…ぶっちゃけマジかよ!って思った。

でもあれか、若造ごときにヴェンダースの映画への想いが解るかってことか♪
デニス・ホッパー演じる死神が「デジタルはいくらでも加工が出来る、本質を捉えない」「俺は誤解されている、本当は優しいのに」などと言い、
主人公は「俺に何か出来ることは無いか?」と言って、二人は抱き合う。

こんなものをベルイマンとアントニオーニに捧げるなんて笑止
ヴェンダースは0年代以降は終わってる。
Rodriguez

Rodriguezの感想・評価

5.0
スタイリッシュ!
今は亡きデニスホッパーがいい役で出てるね。