さぃもんす

病院で死ぬということのさぃもんすのレビュー・感想・評価

病院で死ぬということ(1993年製作の映画)
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死ぬということ。命がなくなること・なくなった状態、生命活動が止まること、滅んだ状態のこと。

たえず引き画で、病に向き合う人たちを切り取る。顔のアップや音楽等は全くなし、病人が病室に閉じ込められているように、生と死を閉じ込める。鑑賞してる人が主観ではなく客観的に見れるようにこのような撮影方法にしたと聞いたが、客観的に見れるが感情移入はとてもできず、見ていて何も感じることはなくとても退屈だった。

本作のように死を重たいものとして描く人もいれば、宮藤官九郎監督のようにポップに描く人もいる。映画の世界に足を踏み入れた今、いつ死んでもいいと思ってる。私は死ぬことをポップに考えている方の人間だと思う。生まれる日も死ぬ日も神様が決めているんだと私は思っている。もし私が今日死ななければいけない日だったのに、生き延びてしまったとしたら毎日神様は私が死ぬように仕向けるだろう。死ぬ時は死ぬ。病院で死ぬことができた人は幸せだと思う。絶対誰かが近くにいるからだ。どうせこの世に生まれてしまったのなら、病気で静かに死ぬことができたら良いなと思う。
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