日本で最初の公害と言われた足尾銅山・鉱毒事件の告発に一生を捧げた明治時代の政治家、田中正造の伝記映画。主演・三國連太郎。助演に映画初出演の西田敏行(当時26歳)。吉村公三郎監督の最後の映画。三里塚芝山連合空港反対同盟が全面協力し千葉県成田市三里塚で撮影。襤褸(らんる)とはボロキレの意味。
明治33年、日露戦争前の富国強兵の時代。栃木県では強引な生産体制を敷いた足尾銅山から渡良瀬川へ銅の鉱毒が垂れ流され、沿岸農村は健康被害と土地の荒廃に苦しんでいた。銅山操業停止の請願書を国会へ届けようと小中村の治平(西田敏行)ら農民代表一万二千名が東京へ向かうが、警官、憲兵大部隊からの苛烈な暴力弾圧により追い返される。これを受けて小中村出身の憲政本党議員・田中正造(三国連太郎)は帝国議会で山県総理大臣を追及する。 “亡国に至るを知らざれば、これ即ち亡国の儀につき質問。民を殺すは國家を殺すなり・・・”。しかし答弁は拒否。政府に絶望した田中は議員を辞職し、嫌っていた社会主義者・幸徳秋水(中村敦夫)を訪問、明治天皇への直訴文執筆を依頼する。。。
晩年の西田敏行さんが最も思い入れのある出演映画として本作を挙げていた。東北弁が反体制派農民の役にピッタリとハマっていた。三國連太郎も鬼気迫る演技で、“土を食らう”アドリブは伝説になっている。何だか「釣りバカ日誌」(1988~)のハマちゃんとスーさんが、本作での両役の転生のようにも感じられた。
田中正造と足尾鉱毒事件については不勉強で名前しか知らず、本作で初めて概略を知った。国家による農民弾圧という点で三里塚闘争と共鳴したことは腑に落ちた。しかし単純なプロパガンダとして作られてはおらず、正造の独善的な側面や社会主義批判も描かれ、骨太な人間ドラマに仕上がっていた。亡くなる時に聖書を持っていたのが印象的だったが、信仰について本編で触れられていないのは残念。
1974年制作にして白黒フィルムを選んでいて、歴史映画としての重厚さを醸し出していた。終盤の小中村民強制退去に抗う正造の姿、引き倒される茅葺屋根の民家、そして荒れ地をさまよう正造を捉えたラストシーンが凄かった。彼は絶望の中で敗北したけれど、その生き様は歴史として後世に生き続ける。
西田敏行が本作を振り返りながら、東日本大震災で原発被災した彼の故郷、福島県を引き合いに出していた。確かに国家事業により土地が汚染された構図は全く同じだ。変わったのは国民の質かもしれない。本作を観て、“亡国”という言葉を改めて考えている。