垂直落下式サミング

ハウルの動く城の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ハウルの動く城(2004年製作の映画)
4.8
私が大好きなゲームに『マシナリウム』というのがある。これはロボットが平面世界を冒険していくだけの単純な話なのだけど、私が惹かれたのはその舞台となっている世界観だ。寂しく錆び付いた鉄の町。猥雑で、窮屈で、退廃している。だのに可愛い。かつては形を成していたものたちを寄せ集めてできた町は、みなどれもあとは朽ちていくだけ、そこには遅いか早いかの違いしかないのに、形がある限りはそこに残り続けていくものの悲しさのような、物質文明の成れ果てに待っている世界が見事に表現されたゲームだった。
このハウルの城のデザインは、マシナリウムの町から拾ってきたのをそのまま組み上げたかのようで、朽ちるはずの廃材のような寄せ集めを魔法の力で形を止めて、そこを家にして仲間たちが暮らしている優しい温かみがある。城の構造にはそれぞれ機能的な理由付けがあるなど、宮崎駿らしいこだわりも見てとれる。土台の上にとりあえず生活に必要なものを積み上げていっただけのようだが、全体に丸っこく、とても可愛らしい。
本当に可愛いので、定期的に間接の接合部分をバラしたり、動力を伝える部品に油を指したりしたい。
本作が今までのジブリ映画と違うのは、かなり女性向けに作られたストーリーの恋愛映画だということ。この城の城主である魔法使いハウルは、最初からチャラチャラしたような女たらしで、宮崎駿が一番嫌いそうなキャラクターなのだけど、今回はロマンスということなのか、とにかくイケメンに描かれていた。
颯爽と登場してみせたかと思えば、親しい人間には少年のような無邪気さや、誰にも自分の孤独を打ち明けられない弱さも垣間見せていく。人たらしで気取っているのに、ほとんど自立できていないため放っておけない。端からみると「どうなの?」って感じだけど、近親者からは溺愛される男によくあるタイプだと思う。
男と女の関係というのが強調された物語であり、ハウルを女性の視点からみれば、自分だけに依存して日常に驚きを与えてくれる格好いい彼氏だが、ソフィーを男性の視点でみると、自分の強がりを受け入れて弱い部分を癒してくれる理想的な女房だ。この古典的な恋愛映画の登場人物の物語を、ソフィーという女性の視点からのみ語っているのが、本作の面白いところ。
他にも、サリマン先生の身の回りの世話をする執事たちが、子供の頃のハウルの顔をしており、過去にふたりのあいだにあった一筋縄ではいかない因縁が仄めかされるなど、然り気無い生々しさが散見される。
このサリマンは、穏やかな顔をして落ち着いた口調で話す理知的な女性のように描かれているが、途中、卑劣な手でもって荒地の魔女を陥れたり、彼女の魔法で人間に戻れないほどの変身をさせられている使い魔も出てくるので、本当はとてつもなく残酷な人物で、情念を操り男の魂を捕らえて離さない恐ろしい魔女だということがわかる。
ラストで示されるのは、新たな戦争のはじまりと、そんな俗世間から離れて平和に自由に暮らすハウルとソフィーの姿。このシーンで、ソフィーはいつも被っていた麦わら帽子の赤いリボンを黒色に付け替えている。黒は魔法の色だ。ハウルの本体の鳥の色であり、荒れ地の魔女やサリマンの使役する色でもある。彼女もまたカルシファーの力を得て、自分がキスを与えたものだけを手元に置いておこうとする魔女となっているということなのだろうか。であるなら、この城に住むものは、みな魔法使いということになり、普通の人間の何倍もの年月を生きるであろう彼等が、美しい容姿のまま、俗世間の争い事や、重力に縛られる生物の老いからも解放され、末永く自由に幸せに暮らしましたとさ、という最上のハッピーエンドと言える。
私的名場面となったのは、ハウルが自分の替わりにサリマン先生のところに行ったソフィーを助け出すシーン。
『北斗の拳』の暗琉天破を彷彿とさせるサリマンの魔法で足場がなくなり、ソフィーはハウルに肩を抱き寄せられる。はっと息を飲む、表情が強張る、そして彼に「下をみてはいけないよ」と言われるソフィー。そこで、私も彼女と同じようにテレビ画面の前で体を硬直させていた。そう、その時、映画と現実はシンクロし、私はソフィーになったのです(?)
いやはや自分のなかに、こんなうるわしう乙女の部分があるとは思わなかった。大切な作品だ。