そーいちろー

モード家の一夜のそーいちろーのネタバレレビュー・内容・結末

モード家の一夜(1968年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

全然内容は異なるわけだが、ブレッソンの白夜を思い出させる恋愛映画であった。

この頃のロメールはのちの喜劇的な展開を好むのとはことなり、より深刻な形で男女の恋愛についてを表現していたように思える。

フランスの山あいの田舎町に住む数学を学んでいた男がその町の哲学を教える知人の男と出会い、ひょんな流れでその男の知り合いの女性の家に泊まり、一夜を過ごすことになる。

その一夜は特段、いわゆる男女の関係があったりするわけでもないのだが、ロメールらしく、男女が語り合い、フランス人らしく思索的な会話を交わし合う。

昔は語り合うということは何かまどろっこしいものに感じられたが、どこかその気取りを通じ、動物である人間の本性を誤魔化そうとするフランス人のその裏にある寂しさ、浅ましさを感じるようになってきた。その寂しさ、浅ましさは結局は人間すべての悲しみの根源なのだけれど。

手っ取り早く抱き合ってしまったほうが良いのだけれど、それで迎えてしまった沸点の持っていき場所も、冷めてしまった後の水の捨て場所もないような関係性を引き伸ばすために、男女のたわいの無い会話というのは存在するのかもしれない。

男は教会で目撃した金髪の女に横恋慕していて、どうも俺からすればあり得ないような展開でその金髪女性の大学の下宿先までいきなりナンパの流れで押しかける形になるのだが、そこから先の展開が秀逸であった。

一夜を過ごしたモードさんという女性は人妻で、旦那が転居することでその田舎町も離れることになるという。

そして、金髪の女は不倫をして、道ならぬ恋愛をしていたという。

数年後、金髪の女性と結婚した男は子連れでその街の浜辺へ海水浴に訪れる。

浜辺へと続く小道で偶然、モードさんとすれ違う男性。懐かしむ男とモード。モードとすれ違いながら愕然とする妻となった金髪女性。

金髪の女を知っているらしいモードさん。要するにモードさんの旦那と金髪の女が不倫関係にあり、その関係を清算するために女はその街を離れたわけで、男もそれを察するのだが、お互いそれを言葉にせずとも感じて、映画は浜辺で終わる。

少しアニエスヴァルダの「幸福」も思わせる作品で、モード家での気怠い会話劇含めて、見応えのある作品だった。

こういう、説明は少ないけれど考えさせてくれる落ち着いた映画って今減ったなと思う。核心に迫らないけれど、心の奥底にストンとくるような。
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