YasujiOshiba

果てなき路のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

果てなき路(2010年製作の映画)
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文句なしの傑作。いわばロジャー・コーマン門下のフェリーニ。しばらくモンテ・ヘルマン祭りが続きそう。

"For Laurie "という映画の献辞は、ヘルマン監督自身が愛した女優ローリー・バード(Laurie Bird)のこと。ヘルマンの代表作『断絶』や『コックファイター』に出演した女の子だけど、やがてアート・ガーファンクルと同棲、25歳で自殺してしまう。実はローリーが3歳のとき、その母親もまた25歳で自殺していたという。

母親の死の影を背負って死んだローリー。そのローリーの死の影を背負うのが、この作品。原題の Road to nowhere は、失われた者を探し求める道のことなのかもしれない。たしかにそんな道をいくら歩んでも、ぼくたちはどこにもたどり着くことがない。あるのはただ道だけ。道の目的地はnowhere なのだ。

あの『断絶』(1971年)あるいは「2レーンのブラックトップ」という映画が「なにも起きないレース」あるいは「もっともスローなレース」を描くロードムーヴィだとすれば、この作品は「作品に至らない撮影」あるいは「もっともスローな撮影」を描くメタシネマということができるのかもしれない〔Metacinema とは P.Bondanella が『8 1/2 』『そして船はゆく』『インテルビスタ』などフェリーニの一連の作品について用いた言葉〕。

それにしてもモンテ・ヘルマンの作品は、不吉なまでに美しい。

同じように死者を題材にした作品でも、たとえばフェリーニの『カビリアの夜』だったら、フェリーニは題材となった死者(カステル・ガンドルフ湖で首なし死体となって発見されたアントニエッタ・ロンゴ)に触発されながら、その鎮魂のためなのだろう、娼婦カビリアには何が起きても生きる希望を失わせることなく、ピエロさながら、涙目に笑顔を浮かばせる。

しかしヘルマンのカメラは違う。あの美しいシャニン・ソサモンの写真へ限りなくスローなズームは、どこにも至ることがない。彼女の閉じられた目ではなく、その半開きの唇へとせまり、今にも動きそうなその美しい口腔が動き出す様を捉えようと見せかけながら、ついには nowhere を映し出すことに成功する。その不吉で、美しいイメージは、どこかあのリンチのローラ・パーマーを超え、なにかドキっとさせる魔術的瞬間を立ち上げる。

そんな瞬間に立ち会えたとき、ぼくは、ああ映画を見てきてよかったなと、つくづく至福を感じちゃうんだよね。
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