和泉瑠璃

大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]の和泉瑠璃のレビュー・感想・評価

3.5
「生きるということは、男と女ということは、ただ女の腹に種をつけ、家の血をつないでいくことだけではございますまい」

家も立場も役割も越えて、一人の人間として生きる希望を見出す物語。

<あらすじ>
五代目将軍 徳川綱吉の時代。
大奥では、将軍の父 桂晶院と、御台所が派閥を争っていた。
桂昌院の推す、伝兵衛が松姫の父である劣勢を覆そうと、御台所は京より右衛門佐を呼び寄せる。
身分高い公家とはいっても、実情は貧しく、毎夜他家への女へ赴いて子種をつける自分を「ねずみのようだ」と感じていた右衛門佐にとって、熾烈な大奥での派閥争いは、むしろ生きがいに感じられるのであった。
そしてある日、右衛門佐が綱吉の目に留まり……。

<感想>
これは人が「いかに生きるか?」を求め、その道に踏み出していく物語である。
まずは、主人公右衛門佐。彼は、貧しい家のために、学才高く知性もありながら、ただただほかの女を孕ませる、種馬の役目を行うことによって金を稼ぐことしかできずに鬱屈していた。
それが、御台所の策略により、大奥に呼び寄せられて、水を得た魚のように派閥争いへと参加していく。
彼にとっては、謀略にまみれた場所こそ、自分の実力を発揮できる場だったのだ。
そして、その相手となるのが将軍 綱吉。
床狂いで、目に留まった男なら、それが他者の夫であっても無邪気に寝てしまう将軍。その将軍の気を引くために、大奥は右衛門佐と桂昌院の策略を隠しつつ、華やかになっていく。

けれどもそれが、綱吉にとって枷となるときがやってくる。
大奥で寵愛を競わせるのは、なんとしても自分の血を将軍家に継がせたい、と願う桂昌院の思惑と、その勢力に負けじとする右衛門佐の対抗意識でしかない。
世継ぎ松姫の死によって、綱吉は次なる世継ぎを産むため、と政から遠ざけられて、ただひたすら大奥へ通い詰めることとなる。
綱吉が、ただ将軍家という家の血をつなぐ役割のみ期待される人間になってしまった瞬間である。
それまで大奥は、あくまで綱吉にとって男遊びの場だった。ただただ遊んでいればよかった。しかし、大奥へ通うのは、逃れられない義務となったのだ。
その思いが爆発し、それを右衛門佐が目の当たりにした瞬間が、必見である。
そして、その思いを受けた右衛門佐が自らの生きがいの本当の意味を吐露し、それによって綱吉が自分をいかに取り戻していくか、そのクライマックスの描き方が、実に見事な作品だ。

よしながふみの作品は、人間を描く物語として、非常によくできている。それを尺にかぎりのある映画におさめるのは、苦難の業だろう。
原作が優れていれば優れているほど、映画化の難易度はあがる。
これは、必ずしも原作通りというわけではないけれども、家から個人へ、という物語を抽出しだすことによって、映画オリジナルとして成功した、たぐいまれな作品と言わざるを得ない。

美しい作品だった。
和泉瑠璃

和泉瑠璃