別離の作品情報・感想・評価・動画配信

「別離」に投稿された感想・評価

究極のドラマ。
たった2時間でここまで多面的に掘り下げられる映画が他にあるだろうか。
大人の心の奥にある灰汁を、掬い上げたような作品。
親家族と家庭のバランス、宗教、正義、考えさせられる要素盛り沢山。
syusachi

syusachiの感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

神に誓う時は自分の非を認める時であって罪意識から逃れるために神を使うなと俺の内なるキェルケゴールが申しております。
アッラーはどうか知らんけど。

物語はかなりミクロな展開、だけど根幹はこの国、イラン?の問題に切り込んだ作品だと思った。
それぞれの事情、階級、宗教、信仰心からなる小さな齟齬が泥沼裁判にまでなっていくって感じか。
子は鎹(かすがい)、良い意味で受け取れられないね。
イランの文化が良くわかるいい映画でした。日本ではどうかってとこを考えながら見るのが肝ですね。
momonomama

momonomamaの感想・評価

4.0
2011年 イラン
監督 アスガル・ファルハーディー
レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ、サリナ・ファルハーディー

イラン映画ってなかなか、当たりが多い。原題はペルシャ語なのでわかんないけど、英語題はNader and Simin, A Separation
あくまでもナデルとシミンのお話。

冒頭、二人の離婚調停から始まる。
まず目を引くのがイランの調停の空気感。
冒頭の二人の場合は二人がワーワー騒いで終わり。
お話の盛り上がり部分のラジエー達との調停の時は攻守入り乱れて何が何だかわからん。廊下もここは警察か?ってくらいに人が多い(いや、日本の警察、裁判所の廊下の雰囲気も知らないけど)

最後の廊下も人の行き来が多くて雑踏の中、終わっていったし。

イランの社会そのものを知らないからか、どういうこと?どういうこと?って前のめりに惹きつけられた。やられたな(笑

ナデルとシミンの娘のテルメーがまた、聡明な子で、、、イランってのは女子でもちゃんと勉強しなあかんって空気なんね。
このテルメー役の子はどうやら監督の娘らしい。
現在の姿を見たら、やっぱり聡明そうな綺麗な大人になってた(笑

テルメーは父と母と、どっちを選んだんだろうなって謎のままのエンディング。
lente

lenteの感想・評価

4.0
*イラン

アスガー・ファルハディが何を描こうとしているのかを考えてみた際に、あくまで作品論としてですが、アッバス・キアロスタミとの関係を視野に入れてみることはたいへん有効なように思います。

1940年生まれのアッバス・キアロスタミに対して、アスガー・ファルハディは1972年生まれで親子くらいの年齢差(32年)があることになります。これは1821年生まれのフョードル・ドストエフスキーと、1860年生まれのアントン・チェーホフとの年齢差(39年)と近似的なように思います。

映画監督としての2人の関係は分かりませんが、作品を通して感じるのはファルハディとキアロスタミの世代的な肌合いの違いです。ドストエフスキーのように土着性へと向かうことで生を回復していったキアロスタミとは異なり(山村が舞台)、ファルハディはあくまでも都市(首都テヘランやパリが舞台)に留まろうとする。

19世紀のなかにすっぽりと包まれる生涯を送ったドストエフスキーと、20世紀の入り口まで生きたチェーホフの作品としての関係性は、どこかキアロスタミとファルハディの作風の関係性になぞらえてみることができるように僕には思えます。

このあたりの事情はイランという国の現代史を捉えてみると面白く感じます。



イランの正式国名は、イラン・イスラム共和国。

1979年にホメイニ師(ルーホッラー・ホメイニー)によってそれまでのパフラヴィー朝による帝政が倒され(イラン・イスラム革命)、宗教上の最高指導者が国政を担うイスラム共和制が敷かれます。この年に起きた「アメリカ大使館占拠事件」は、アメリカ側の視点ではあるもののベン・アフレック監督・主演『アルゴ』(2012年)に詳しく、またこの事件がイラン・イラク戦争へとつながっていくことにもなります。

ホメイニによって倒されたそのパフラヴィー朝(1925-1979年)は、トルコ系の王朝であったカージャール朝(1796年-1925年)をレザー・パフラヴィー(ペルシア系の軍人)が倒して建国した王朝でした。レザー・パフラヴィーは『アラビアのロレンス』にも描かれるような、帝国主義末期の分割統治(イギリスとロシア)政策に翻弄され弱体化したカージャール朝に代わり、ペルシアを近代化(西欧化)しようと努めました(日本の明治維新に近いかもしれない)。

そのペルシアを「イラン」という国名にしたのもパフラヴィー朝で、その呼称はイスラム以前のゾロアスター教の聖典からとったようです。

パフラヴィー朝では、パフラヴィー2世による白色革命(1960年代:白は白人ではなく皇帝の命令という意味)などによってイスラムの宗教色を廃し、政治・文化(男女同権)を近代化していこうとしたものの、独裁的でアメリカの傀儡(かいらい)政権色が強くやがて国民の支持を失っていきました。そして1979年のイラン革命が起こきます(明治維新に置き換えるなら、西南戦争で西郷隆盛が勝利した形になるかもしれない)。



キアロスタミとファルハディそれぞれの生年をこのイラン現代史に置いてみると、キアロスタミが39歳の時にイラン革命を経験しているのに対し、ファルハディは7歳だったことが分かります。両者のイスラム文化に対するアプローチの違いは、こんなところからも汲みとれるように思います。

40歳手前まで西欧化(文明化)の国是を生きたキアロスタミと、イスラム宗教国家となってから物心のついたファルハディ。

ファルハディの語り口はモダンに洗練されているため、日本人である僕たちも感覚的に観ることができます。しかしながらこの『別離』のなかに描かれる夫婦のほんとうの亀裂は、こうしたイランの現代史を背負っているように僕には思えます。

そのためイラン革命の前に青年期までを送ったキアロスタミが、多民族国家としての土着的なペルシアへ出口を求めて行ったのに対して、ファルハディは出口を持てないまま憂鬱な円環のなかをぐるぐると彷徨うことになる。

そうした2人の関係は19世紀の帝政ロシアにおけるドストエフスキー(1821年生)やトルストイ(1828年生)と、チェーホフ(1860年生)との関係にたいへん近いように感じます(実際にチェーホフは晩年のトルストイと親交があった)。

ドストエフスキーもトルストイも作品に描き出した出口はそれぞれに異なるものですが、ロシア正教(キリスト教)への向き合いを濃密にたたえていたのに対して、チェーホフ作品にはほとんどその痕跡はありません。この関係性はどこか転倒しながらも、キアロスタミとファルハディの作品から感じるイスラムへのアプローチとやや似ているように感じます。

どちらかと言えばキアロスタミのほうが脱イスラムの感覚が強く、ファルハディはイスラムの因習をやや引きずっている。しかしながらモダンなのはファルハディのほうという感覚です。

いっぽうキアロスタミとファルハディに共通した点として、各作品が必ず前作のテーマを踏襲しながら深めていることが挙げられるかもしれません(キアロスタミについては『ジグザグ道3部作(コケール・トリロジー)』に詳述したとおり)。

ファルハディが『彼女が消えた浜辺』で描いたのは、もはや対峙する力を失った因習に替わるある種の空虚さであり、この『別離』で描かれているのはそうした因習(のように見える空虚さ)から脱出しようという妻と、因習のうちに留まろうとする夫との亀裂だろうと思います。

このある種の空虚さとはモダニズムがいつでも抱える重要なテーマであり、アントン・チェーホフが劇作品や短編のなかに描いたのも同様のものだろうと思います。そして次作の『ある過去の行方』では、その空虚さから脱出したように見えた先に待ち受けていたものを描いています。
みやび

みやびの感想・評価

4.6
大人同士の嘘のつきあいに巻き込まれる子供。
ミサホ

ミサホの感想・評価

4.2
イラン映画はたぶん初めてだし、しっとりとした、行間系の作品かなと思いながら観始めた。

ところが、一瞬たりとも目が離せないものすごい作品だった。

大人の醜さと狡さ、意地の張り合い、自己保身、嘘、プライドのぶつかり合いといったものに子どもが巻き込まれる。

その馬鹿馬鹿しさをこれでもか表現した、今まであまり観たことないような作品だった。

予め、あらすじを読んではいたが、こんな展開になるとは予想していなくて、唖然としてしまった。

「いい作品」と言うより「驚くべき作品」といった感じ。

主演の女性は、イザベラロッセリーニに似ていてとても美しかった。

イランもテヘランだと結構、都会ですね。ヨーロッパのような趣きがありました。
すごい良かった、、しんどい
みんな守るものがあるけれど、精神的な余裕もない、みんなの気持ちがわかる

エンドロールへのつなぎ方も好き
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