あばばば

ティファニーで朝食をのあばばばのレビュー・感想・評価

ティファニーで朝食を(1961年製作の映画)
4.7
ニューヨーク行きの飛行機で急いで履修したんですが見終わるころには涙腺も精神もぐずぐずになっていた……大好き……
結構前に村上春樹の翻訳で原作を読んでてほとんど忘れてたんだけどオチはこんな感じじゃなかった気がする。確かホリーはアフリカに行くんじゃなかったっけな。

支離滅裂でときにヒステリックな行動を取るヒロインだけど、すべては矛盾で引き裂かれそうな臆病な自分を守るため。いろんな男にコケティッシュにアピールしてその気にさせながらも、本当に向き合うことになったらするりと知らないふりをして逃げ出してしまう。それは誰かに縛られたり所有されたくないという気持ちがあるから。だけど、女として早くどこかに落ち着いてしまいたいという気持ちもあって、ホリーは常にこの間を激しく移動している。
ホリーは自分の価値が、ティファニーのように誰かを飾り立てる宝石でありステータスであり、それが外見や女に基づいているものでしかないということも知っている。それが永遠に続くものではないと受け入れながら、それを利用する強かさも持っている。だからこそホリーは本当の才能というものに焦がれていて、小説家のポールを手に入れたいと思う。空っぽの自分に気がつくのが怖いから。若さと外見しかない自分に気がつくのが怖いから。本妻ではなく所詮妾で終わってしまう自分の無価値さに気がつくのが怖いから。
心配している人がいるのに身体的に縛られるのが嫌で田舎にも帰ることができない。精神的に縛られるのが嫌で誰かひとりの恋人をもつこともできない。ホリーが恋人を持つときはホリーがホリーじゃなくなるとき。
でも、なにも気まぐれに狂人のようにホリーは暴れ回っているわけじゃない。彼女の行動は矛盾による葛藤と反動で形成されていて、その心を思うだけで胸が震えてくる。だからこそ今まで男に選ばせていたホリーが初めて自分からポールと自分の人生を選んだ瞬間は鳥肌が立つほど涙が出る。猫と自分を重ね、ポールに身を委ね泣きわめくシーンは、とにかくもう、今まで苦しかったね、こわかったよね、よかったね、という気持ちでいっぱいになる。

ちなみに五番街のティファニーも実際に行って中にも入ってきたけど、店の前に立ってたハンサムのことしか覚えてないです。
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