竹内アラン

自転車泥棒の竹内アランのレビュー・感想・評価

自転車泥棒(1948年製作の映画)
5.0
上映中の乱闘騒ぎが凄かった。
この映画なにか持ってる。

今すぐ見つかるか、一生見つからない。
すぐ隣にいたはずの息子が無意識的に父から距離を離す。あれはきっと父の心の穴であり息子のでもあり。
目の前の幸せに気づかないのは、この物語の出だしから息子が出てくるまでの時間そのものが表している。
みんな気がかりだったはずだ、息子の唐突な登場の仕方に。
映画全体でこれを見せているため、物語に入り込んだ観客はそれに気づかない。
だってそんなの当たり前だ。常に現在に満足してる人間なんて貧乏にだって金持ちにだっていやしないんだから。
まさに現実での僕たちの投影だ。
この物語の終わりで、いや、映画館を出た帰り道かもしれない、そこでようやくハッとなるんだ。
中盤で父は息子という存在に気づき。そして終わりには息子が父の存在を知る。
二人の山を見てやっと気づく。
何に気づくって。
この映画はバッドエンドでもハッピーエンドでもなくて、人生を現しているんだって。
一生の教訓を表現する映画は必ず反復的な脚本が必要になるのだが、この映画はそれをしかも別人物でやってのける。映画を見すぎると同一人物が同じ境遇を二度も三度もくぐり抜けるのを見ると説教臭く感じてくる。もういいよってね。だってこれだけ生きてきた中で散々聞かされたんだから、自分という他人からも。もちろんこの映画の教訓だって散々聞いた。けれど少しも苦じゃないのはこの脚本のおかげだ。
そして大人勝りのあの力強い表情の子役に感激した。
1948年の映画が今もなおこうしてたくさんの観客に届けられる。

普通の人々でも扱われたこのテーマはふとした時に訪れる。いわゆる永遠のテーマだと思う。

鉄道員との二本立ては素晴らしかった