eiganoTOKO

自転車泥棒のeiganoTOKOのネタバレレビュー・内容・結末

自転車泥棒(1948年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

FINの前から号泣。
父ちゃんが自転車を盗むか…いや子どもの前では見せられない…でも食わせなきゃならない家族が…と迷っているとき「やめろー!」という気持ちと、戦後敗戦国イタリアのどうにもならない貧困のリアル、誰も父ちゃんを責められないよという気持ちが交差して涙ぼろぼろ。父ちゃんが盗んだ自転車を取り返した持ち主のおっさんが、不安げな子どもを見て「今回は見逃したるよ」。うう…この人間の尊厳を見失わない行為、自分が金持ちになっても絶対忘れたくない。プロレタリアート映画はリアルさが徹底されてるので、刺さりまくり…。

ストーリーは、生産手段のメタファーである盗まれた「自転車」を探すだけなのに、貧困層のなかにも階級差があったり、食事の格差は屈辱的だとか、労働組合や選挙にも深く関われないほど生きることだけに精一杯な主人公だとか、宗教もスピリチュアルも救ってはくれない、そして私有財産の自己責任という近代の社会システムがすでに崩壊している、という今みても全く古くならない普遍的なテーマになる大傑作。

自転車が見つからなくて喧嘩をしてしまうパパが、息子と仲直りしようと「ピザでも食うか!」と入った食事処は庶民の食べ物を出さないレストラン。でもパパは「チーズとワイン」を「たっぷり」頼む。
後ろに座る富裕層は、シャンパンやテーブルに乗り切らない肉や料理の数々…。
子どもながらに格差を叩きつけられる食事の瞬間。小学校や中学校の給食って大事だなあ…と思ったり。
「あれだけ食べたら月に何万リラもかかるな」とパパが言うと、息子がチーズを食べるのをやめるんだけど、辛すぎるわ!
自転車がいかに家計を支えてるかの計算は、パパは出来ない。でも息子には学習させているらしい。ここからみても、パパはもともと貧困層から抜け出せない階級出身らしいことがわかる。「知」は財産、がこの一瞬だけで詰め込まれてる。
この食事シーンはまだ父親としての尊厳があった。でも最後に自転車を盗み、捕まって見逃してもらったあとには父として、人間としての尊厳が失われてパパは群衆のなかで涙を流す…。息子は気を使いながら手を握りしめる…。
この親子を誰が責められるのか。
私が一番嫌いな言葉は「自己責任」だけど、この映画をみても社会システムの崩壊に気づかず、無頓着に生産手段を搾取する人々に、この親子、そして更に貧困層だった最初の自転車泥棒は殺されるのだ。

あと子役の演技ちょーナイス。だけど素人でびっくり!うーん、考え抜かれてリアルさの追求、ネオリアリズモ映画恐るべし。
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