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自転車泥棒の教授のレビュー・感想・評価

自転車泥棒(1948年製作の映画)
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盗まれた自転車。それだけだと「ビニール傘」と同じで、他人事として聞けば用心が足りない。取られても仕方ない。という倒錯した価値観が当たり前になってしまっている現代の日本から見て。
ある立場の人にとっては明日をも左右する大問題かもしれないということを考えさせられる。

ようやくありつけた仕事に、自転車が必要だからとシーツを売り払い、サービスしてもらって故障していたものを修理してもらう。
ようやく生活を立て直していける、と踏んだ途端に自転車は盗まれ。父と子が不安に駆られたり、落胆したり、怒ったりで雨に打たれたり、走り回ったり、散々な目に遭う。

犯人は見つけても証拠がないと突っぱねられ。肝心の自転車はないと踏んだり蹴ったりの後。
盗んだ側にも主人公と同じような境遇があるのだろうし、誰かの不幸は、また新たな不幸を呼び。背に腹はかえられない状況は、倫理観を崩壊させていく。
劇中。最後は自転車が見つかるだろう。と願い。そのように物語は帰着するだろうと思いながら観ていて、ラストは全く甘くなかった。

そこで初めてヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ネオ・リアリズモ」ということを思い出してしまう。
映し出されていたのは「戦争に負けた」というイタリアの風景であり。敗戦の痛手をモロに受けた名もなき市民、そのものであるという逃げ場のない現実。

自転車を探し求めて必死に歩き続けること自体が映画のサスペンス的な要素であり「映画」という物語の性質をしっかりと押さえて、虚構の世界ではあるけれども。
素晴らしい映画だと言われる由縁が感じられる
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