ずどこんちょ

自転車泥棒のずどこんちょのレビュー・感想・評価

自転車泥棒(1948年製作の映画)
3.8
防犯登録にも駐輪場の監視カメラにも感謝ですよ……

切な過ぎる映画でした。余韻がとても良かったです。そう終わるのか!と。
戦後すぐの長引く不況の中、男はようやく2年ぶりの仕事にありつきます。待ちに待った仕事は自転車で回るポスター貼りでした。
しかし、自転車は質屋に預けたばかり。家族を食わせるためにチャンスを無駄にしまいと、金を工面して質屋に預けていた自転車を引き取り、なんとか迎えた初日の仕事で、なんと男は自転車を盗まれてしまうのです!
警察に相談しても相手にしてもらえず、男は息子と共に盗まれた自転車探しを始めます。ようやく犯人に繋がる可能性が見えたのですが………。

犯罪被害者の不条理な現実ってこういう絶望だし、じゃあ誰が悪いのかって突き詰めていくと、その中には貧困をもたらした社会に対する怒りも確実にあります。
作中でも言うように、働く意思はあっても働く場所がない。世の中が明日の食べ物にも困る失業者で溢れかえっているわけで、
そんな貧困に喘いで同じ苦しみを抱えている者同士が人の物を盗んだり、嘘をついたりして罪を被って生きているわけです。

盗品を売りさばいていることをしらばっくれて、食べ物の施しを受けるために教会に通っている老人も哀れでした。
小さな男の子の生活を奪ってまでも罪を被りたいなんて思っていなかったことでしょう。彼が言っていたように、本当に今の生活が自分のことで精一杯なのです。

驚いたのは主演の父親も息子も素人なんだということです。
華やかな物語ではなく、現実世界の不条理な状況を描く戦後すぐの映画運動をネオレアリズモ運動と呼ぶそうで、その特徴の一つとして実際の街を映し、素人を起用するという側面があるのだそう。
父親役の役者は、失業した元電気工だと言うから驚きですし、息子役の少年も街で声をかけた素人なのだとか。
それにしては奇跡のような名演技。もしかすると、彼らにとっても映画出演は千載一遇のチャンスだったのかもしれません。

レストランで隣の金持ち家族の男の子に、自分が注文したチーズが伸びるのを息子が見せつけるシーン。
隣の家族ほど豪勢には食事ができないけれど、伸びるチーズを細やかに自慢する幼さが切なくて愛くるしい。
名シーンでした。