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デッドマンのhorryのレビュー・感想・評価

デッドマン(1995年製作の映画)
5.0
ずっと観たいと思っていたのに、なぜかタイミングが合わなかった。やっと観られた。

モノクロの美しい映像とニール・ヤングのギター、精悍なジョニー・デップ、どのシーンも絵画のよう。
詩人ウィリアム・ブレイクに詳しくないし、詩が分からないのが残念なのだが、先に『パターソン』を観ているので、ジャームッシュは詩(言葉)を映像で表現する人なのだ、と改めて思った。

印象的だったシーンをいくつか覚え書き。

女装のイギー・ポップが出て来るシーン。
ブレイクは「柔らかな髪」を持っているため、女のように扱われる。イギー・ポップは森の中の男たちのために料理をし、洗濯もしているのだが、彼らはブレイクを取り合う。『デッドマン』に出てくる女性はみんなセックスの相手であり、そこからイギーの役どころをどう考えるか、非情な殺し屋が両親を犯して殺したということとの関わりも考えてみたいが、それより気になったのが、イギーが料理した野ネズミの肉を、ブレイクが盗み食いするシーン。
ノーボディ(これはあえてノーバディではないのだろう)は、儀式のためには食べても飲んでもいけないと言っていたので、ブレイクの盗み食いは儀式を遠ざけることとなり、結果、ノーボディはブレイクの前から姿を消してしまう。

一人になったウィリアム・ブレイクが死んだ子鹿に寄り添うシーン。
子鹿は頸を撃たれている。その傷は、セルの部屋でブレイクがディッキンソン社長の息子・チャーリーに向けて放ったものと同じ位置。ウィリアム・ブレイクが「デッドマン」となった初めての「言葉」(「銃はお前の舌だ。銃で話すことを学ぶ、お前の詩は血で書かれるのだ」)にブレイクが一人で対峙し、子鹿の血を自分に塗る。ノーボディが経験したように、子鹿はブレイクの中に入っていったのだろうか。

ブレイクの眠り。
冒頭の汽車のシーンから、ブレイクの寝顔のクローズアップが何度も繰り返される。眠りは死のメタファーだ。両親を亡くし、婚約者に逃げられ、「墓場」のような町に辿り着いたものの職はなく、所持金もなくなってしまったブレイクは、町に着いた時点ですでに「デッドマン」だったのかもしれない。ブレイクは小心者で、セルが男に乱暴されているのを止められなかったことを言い訳し、チャリーが部屋に来た時にはシーツで顔を隠し、セルに庇われる。ノーボディが儀式を行うことができる「デッドマン」には届かない、まだ準備のできない死せる男がブレイクだったのだと思う。

「タバコを持っていないか?」
これも反復される。タバコは白人にとっては嗜好品だが、ネイティブ・アメリカンにとっては儀式に必要なもの。ノーボディは何度もブレイクにタバコの話をするが、ブレイクは「吸わないんだ」と返す。これもノーボディから見れば、まだ「デッドマン」になれないという意味だったのだろう。
様々な厄害を持ち込む交易所で、ブレイクはタバコを手に入れる。それまでブレイクの傷の手当をしていたノーボディが、もうブレイクの傷にかまわなくなったのは、ブレイクの準備が整ったから。

たくさん興味深いシーンもあったので、もう一回観たい。
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