ごまだんご

火垂るの墓のごまだんごのレビュー・感想・評価

火垂るの墓(1988年製作の映画)
4.0
子供の頃以来の鑑賞でした。私はこの映画にどうしても「怖くて悲しい」イメージがあり、これまで見ることを避けてきましたんです。ひっさびさに鑑賞すると、子供の頃の感じ方と今回(大学生)の感じ方の違いに驚きました。 

※火垂るの墓のネタバレを含みます。
まず、怖くとも悲しくとも全く思いませんでした。まあストーリーを知っていたからというのはあるかもしれませんが、昔怖いとかグロイとか思っていた部分を見てなんとも感じなくなってたのには驚きました。「ミッドサマー」とか「風が吹くとき」とかを見てきたからしょうがないのかな。
そして、子供の頃と最も印象が変わっていたのは物語の途中から登場する清太、節子のおばさんです。彼女は孤児になった清太と節子を引き取り、一緒に暮らしていました。しかし、二人との衝突、日々の不満がたまったことで清太と節子は家を出て行ってしまい、その後二人は死んでしまうのです。子供の頃は彼女のせいで二人は死んだのだと本気で思っていました。だって、彼女が二人を家に留めてくれれば死ぬことはなかったのに。

でもね、おばさんは全く悪くないんですよ。実際。というか戦時中に二人の子供を引き取るなんて聖人すぎます。私だったら断ると思います。それだけで感謝すべき事なのに、二人は学校に行かないどころか家事すらもしません。そのくせ文句を言ってばかりです。これはもはやおばさんがかわいそうなだけです。節子はまだ4歳ということでしょうがないとしても清太、お前はダメだ。でもね、彼の気持ちもわかります。母は死に、住み慣れた家は破壊されました。

じゃあ、何が必用だったのか。何が足りなくて二人は死んでしまったのか。私はおばさんと清太には「コミュニケーション能力」が必用だったのだと感じました。
おばさんは二人に不満があったのに、それをぐちぐちと呟いているだけです。二人に怒鳴った時もあまりにも気遣いに懸けた言葉を投げかけます。これじゃあ子供の二人は苦しみ、不満を募らせるだけです。おばさんは二人を気遣った上で「家事のお手伝いをしてくれる?」くらい言えたら良かったのではないでしょうか。きっと二人は言われたら文句を言わずやってます。

清太も同じです。突然押し掛けた身なのに自主的に仕事に出たり、学校に行ったりしません。勿論節子がいるから離れられないという理由があったかもしれませんが、じゃあそう伝えれば良いのです。そう伝えないで自分の屁理屈のような考えをおばさんに伝えるからおばさんも怒ってしまうんです。おばさんだってそう伝えられれば学校に行っているうちは節子を預かってくれていたかもしれませんし、家事の手伝いを提案してくれたかもしれません。清太は「大人になりすぎた」のが良くなかったのかもしれません。子供のように泣き、助けを求め、本音で話すことで全く違う道へ進んでいたのたかも。

人は社会の中では一人で生きていけません。必ずどこかで助け合って生きています。
そのことを忘れずに、隣にいる人間に感謝を伝えられる人間でありたいですねぇ、、、
ごまだんご

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